2008年05月04日

NHK大河ドラマ篤姫第18回「斉彬の蜜命」

★安政3年1856年、下田にアメリカ総領事ハリスがやってきました。
ハリスは、玉泉寺を総領事館に定め、3年間滞在し、通商条約の協定の仕事にいそしみました。

同じ年、11月・・・江戸に出てきて2年、21歳になった、篤姫(宮崎あおい)は大奥入りしました。

尚吾郎(瑛太)は お近(ともさかりえ)は夫婦になりました。

大奥・年寄、滝山(稲森いずみ)が登場しました。

★★★


<篤姫>視聴率20%超 人気の秘密は「家族愛」

NHK大河ドラマ篤姫第18回「斉彬の蜜命」

江戸を襲った安政の大地震の影響で、篤姫(宮崎あおい)のこしいれは再び白紙に戻されます。

篤姫(宮崎あおい)が江戸の薩摩藩邸で暮らし始めて2年、篤姫(宮崎あおい)は21歳になっていました。

長らく待たされる幾島(松坂慶子)らにはいらだちの声も。

篤姫(宮崎あおい)は・・

婚礼の日を待つうちに、疑り深くなってしまいました・・。来るなと言われている気がしてならない・・・

しかし、こうして待ち続ける日々が私を強くしてくれるように思う。

鋼が火に打たれ強くなるように・・・。

いつかきっと役にたってくれると思う・・


「姫さま、あっぱれな心意気でございます・・」幾島(松坂慶子)

★★★

一方、尚吾郎(瑛太)は お近(ともさかりえ)との縁組が決まったものの、戸惑いの気持をふっきれません。

3男である、尚吾郎(瑛太)にとって小松家への養子縁組の件は、願ってもないお話なのですが・・。

結婚に気乗りのしていない尚吾郎(瑛太)を気遣い、お近ともさかりえ)は

「縁談をお断りいただきたいのです。私は、7歳年上で、しかも体が弱く、季節の変わり目には寝込んでしまうことも多いのです。できることといえば、香をたしなむことぐらい・・・。
とにかくとりえのない役に立たないおなごなのです」と縁組を断ってくれと頼んできます。

尚吾郎(瑛太)は・・

受け止めきれないことばかりだったのだといい、

「お近さんは、人の痛みがわかる筋の通った人だと思います。江戸へいけず気落ちした私を慰めてくれたではありませんか。やけになり、すさんだ私を叱ってくれたではありませんか・・・今、決心しました。私のような者でよければ妻になってください。私はまず、小松家を、あなたを守りたいと思います・・。決め手ができたのです。」

★★★

月日がたち、安政3年2月、ようやく、老中・阿部正弘(草刈正雄)より篤姫(宮崎あおい)の婚儀に関する通達が出されました。

篤姫(宮崎あおい)は、右大臣・近衛忠ヒロ(春風亭小朝)様との父と娘の縁組の儀式を行い、婚儀は12月18日、大奥入りは11月11日と決まりました。

篤姫(宮崎あおい)が大奥入りする前日、斉彬(高橋英樹)は、篤姫(宮崎あおい)を呼び寄せます。

篤姫(宮崎あおい)の役目は、家定(堺雅人)様を支えお助けすること・・お世継ぎを作ること・・もしお世継ぎが出来なければ・・・・次の将軍を慶喜様と決定するよう進言こと・・・国のために・・・というものでした・・。

篤姫(宮崎あおい)は・・

「一命にかえましても、そのお役目必ずや果たしてみせます・・」

篤姫(宮崎あおい)幾島(松坂慶子)

「私にできると思うか??」と問います。

幾島(松坂慶子)

「さあ・・。しかし、姫さまを決しておひとりには致しません」

★★★

英姫(余貴美子)さまに呼ばれる篤姫(宮崎あおい)・・

素顔を見せ、「風が気持いい・・そなたとはへだてなく話しがしたかった・・・2度と会うことはないだろう・・御台所の勤めをしかと果たすように・・。そなたのことは決して忘れはしない・・さらばじゃ。


★★★

西郷吉之助小澤征悦

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幾島・松坂慶子

幾島・松坂慶子

篤姫付き老女。篤姫を、江戸の社交界にデビューさせるために「姫」としての教育をたたきこむ。幾島の厳しい躾に、篤姫は反発するが、江戸城に入ってからは篤姫の「無二の戦友」となる。大河ドラマ 篤姫

松坂慶子(まつざか けいこ、1952年7月20日 - )

東京都大田区出身。本名は高内慶子。父親は在日韓国人。母親は日本人。日本に帰化[1]。小学2年生の時『くるみ児童合唱団』に入団。中学時代には演劇部に所属。中学3年生で「劇団ひまわり」に入団。

1967年、『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』でテレビ初出演。日本大学第二高等学校に進学[2]。高校時代にスカウトされ、1970年に大映で本格的に映画デビュー。1972年に松竹へ移る。

1979年に、ドラマシリーズ『木曜座・水中花』[3](原作・五木寛之)において、自らテーマソング『愛の水中花』を歌うとともにバニーガール役に挑戦し、セクシー女優としての地位を固めたことで一躍ブレイクし、1980年代には『青春の門』『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』『蒲田行進曲』『火宅の人』『椿姫』『死の棘』などの映画や、『春の波涛』などのテレビドラマに出演し、女優としての地位を確立した。

1991年、ジャズギタリストの高内春彦と結婚し、一時期米国に移住したが、結婚にまつわる騒動[4]が収束して以降は、再び日本で女優として活躍を続けている。

2000年には、「東京電話」のCMで大根を持った主婦をコミカルに演じて新たなイメージを開拓した。

2002年にはヘアヌード写真集『さくら伝説―松坂慶子写真集』(なかにし礼原作・監修)をヒットさせた。

2005年8月29日に大塚食品が発売した「ボンカレークラシック」での外箱のキャラクターを、松山容子に代わり、務めることになった[5]。同年の秋にはドラマ『熟年離婚』に主演し、渡哲也が演じる夫に離婚を切り出し自分の人生を新たに切り開く主婦役を好演した[6]。さらに同年12月放送の『ウリナリ芸能人社交ダンス部』では、ダイナミックに動きキレのある社交ダンスを披露し、初出場ながら優勝するなど、年齢を感じさせない美貌と体力を保っている
松坂慶子 - Wikipedia
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近衛忠熙(春風亭小朝)

近衛忠熙春風亭小朝

五摂家筆頭、近衛家当主。島津家は、もともと近衛家の流れを汲む家柄。しかも忠熙の正室は斉彬の姉であり、斉彬とは非常に親しい間柄だった。篤姫は、斉彬の養女となった後、さらに忠熙の養女として、将軍・家定に嫁いだ。篤姫にとっては、三番目の父となる。のちに忠熙は、皇女・和宮による公武合体を強力に推進することになり、篤姫の人生に強い影響を与え続ける。大河ドラマ 篤姫

春風亭小朝(しゅんぷうてい こあさ 1955年3月6日 - )は、落語家、俳優。東京都北区出身。東京電機大学高等学校卒業。本名は花岡 宏行(はなおか ひろゆき)。前座名は春風亭 小あさ(読み同じ)。出囃子は『さわぎ』。キャッチフレーズは『横町の若様』。有限会社春々堂所属 春風亭小朝 - Wikipedia

小朝&泰葉離婚…20年目のど〜もすいません
posted by 江〜篤姫 at 19:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫・キャスト
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