2008年08月10日

桜田門外の変

桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)は、安政7年3月3日(1860年3月24日)、水戸藩の浪士らが大老・井伊直弼の行列を江戸城桜田門外(東京都千代田区)にて襲撃し大老・井伊直弼を暗殺した事件である。

経緯
外桜田門。事件当日、通い慣れたこの門に井伊直弼はたどり着くことができなかった。「勅許なく」独断で安政の五ヶ国条約を調印し、一橋派・南紀派の将軍継嗣問題を強行に採決したうえ、安政の大獄で反対勢力を弾圧していた井伊直弼に対し、藩主の父・徳川斉昭への謹慎処分などで特に反発の多かった水戸藩では、高橋多一郎や金子孫二郎などの過激浪士が脱藩して薩摩藩の有村次左衛門などと連絡し、薩摩の率兵上京による義軍及び孝明天皇の勅書をもってのクーデター計画を企てていたが、薩摩藩内の情勢の変化などにより、両藩士合同の計画は頓挫した。やむなく水戸の激派が独自に大老襲撃を断行することとし、薩摩からは有村が一人加わった。

当日朝、一行は決行前の宴を催し一晩過ごした東海道品川宿(東京都品川区)の旅籠を出発し、東海道(現在の国道15号)に沿って進み、大木戸を経て札ノ辻を曲がり、網坂(東京都港区、慶應義塾大学付近)、神明坂、中之橋(現在の首都高速道路都心環状線を過ぎる)を過ぎて桜田通りへ抜け、愛宕神社(港区)で待ち合わせたうえで、外桜田門へ向かう。そして、登城途中の直弼を江戸城外桜田門外で襲撃した(関係者一覧は下記)。井伊家には警告が届いていたが、直弼はあえて護衛を強化しなかった。

当日は季節外れの雪で視界は悪く、護衛の供侍たちは雨合羽を羽織り、刀の柄に袋をかけていたので、襲撃側には有利な状況だった。江戸幕府が開かれて以来、江戸の市中で大名駕籠を襲うという発想そのものが想定外で、彦根藩側の油断を誘う。襲撃者たちは大名駕籠見物を装い、『武鑑』を手にして直弼の駕籠を待っていた。

駕籠が近づくと、まず前衛を任された森五六郎が駕籠訴を装って行列の供頭に近づき、取り押さえにきた日下部三郎右衛門をやにわに斬り捨てた。こうして護衛の注意を前方に引きつけておいたうえで、黒沢忠三郎(関鉄之介という説あり)が合図のピストルを駕籠にめがけて発射し、本隊による駕籠への襲撃が開始された。

発射された弾丸によって直弼は腰部から太腿にかけて銃創を負い、動けなくなってしまった。襲撃に驚いた駕籠かきは遁走し、数名の供侍たちが駕籠を動かそうと試みたものの斬り付けられ、駕籠は雪の上に放置される。彦根藩士たちは柄袋が邪魔して咄嗟に抜刀できなかったため、鞘で抵抗したり、素手で刀を掴んで指を切り落とされるなど不利な形勢だったが、二刀流の使い手として藩外にも知られていた河西忠左衛門だけは冷静に合羽を脱ぎ捨てて柄袋を外し、襷をかけて刀を抜き、駕籠脇を守って稲田重蔵を倒すなど襲撃者たちをてこずらせた。しかし、一人では抗しきれず、遂に斬り伏せられる(河西の刃こぼれした刀は彦根城博物館に保存されている)。

もはや護る者のいなくなった駕籠に、次々に刀が突き立てられた。さらに有村次左衛門が扉を開け放ち、虫の息となっていた直弼の髷を掴んで駕籠から引きずり出した。直弼は地面を這おうとしたが、有村が発した薬丸自顕流の「猿叫」とともに、首は鞠のように飛んだ。襲撃開始から直弼殺害まで、わずか数分の出来事だったという。一連の事件の経過と克明な様子は、伝狩野芳崖作『桜田事変絵巻』(彦根城博物館蔵)に鮮やかに描かれている。

有村らは勝鬨をあげ、刀の切先に直弼の首級を突きたてて引き上げにかかったが、昏倒していた小河原秀之丞が鬨の声を聞いて蘇生し、主君の首を奪い返そうと有村に追いすがって後頭部に切りつけた。小河原は広岡小之次郎らによって斬り倒されたが、有村も重傷を負って歩行困難となり、若年寄遠藤胤統邸の門前で自決する。

襲撃を聞いた彦根藩邸からは直ちに人数が送られたが後の祭りで、やむなく死傷者や駕籠、さらには鮮血にまみれ多くの指や耳たぶが落ちた雪まで回収した。直弼の首は遠藤邸に置かれていたが、所在をつきとめた彦根藩側が、闘死した藩士のうち年齢と体格が直弼に似た加田九郎太の首と偽ってもらい受け、藩邸で典医により胴体と縫い合わされた。

死傷者と処分
襲撃側のうち、最初に駕籠目掛けて斬り込んだ稲田重蔵は河西に斬り倒され即死。有村次左衛門のほか広岡小之次郎、山口辰之介、鯉渕要人は彦根藩士たちの必死の反撃で重傷を負い、他の藩邸に自首したのち自刃した。他の者も多くは自首したり捕縛された後に殺害されたり、獄死している。増子金八と海後磋磯之介は潜伏して明治期まで生き延びた。

井伊家の側は直弼以外に8人が死亡(即死者4人、後に死亡した者4人)し、13人が負傷した。死亡者の家には跡目相続が認められたが、直弼の護衛に失敗した生存者に対しては、2年後の1862年(文久2年)に処分が下された。草刈鍬五郎など重傷者は減知のうえ、藩領だった下野の佐野に流され揚屋に幽閉される。軽傷者は全員切腹が命じられ、無疵の者は士分から駕篭かきにいたるまで全員が斬首、家名断絶となった。処分は本人のみならず親族に及び、江戸定府の家臣を国許が抑制することとなった。
桜田門外の変 - Wikipedia

(08/10)大河ドラマ「篤姫」第32回「桜田門外の変」

安政の大獄


posted by 江〜篤姫 at 09:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 桜田門外の変

NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第30回

大河ドラマ「篤姫」第30回「将軍の母」25.8%

大河ドラマ「篤姫」第29回「「天璋院篤姫誕生」24.2%(フジテレビ月9チェンジ最終回:27%)

大河ドラマ「篤姫」第28回「ふたつの遺言」26.2%(最高視聴率更新)

大河ドラマ「篤姫」第27回「徳川の妻」視聴率26%

NHK大河ドラマ篤姫第26回「嵐の建白書」その1視聴率24.7%
NHK大河ドラマ篤姫第26回「嵐の建白書」その2視聴率24.7%

NHK大河ドラマ篤姫第25回「母の愛情」視聴率22.6%

NHK大河ドラマ篤姫・第16回〜第24回

NHK大河ドラマ篤姫音楽:芳俣涼・脚本:田淵由美子

★★★

家茂役の翔太 まげ姿に「鏡見るのが嫌」
堀北真希、松田翔太が和宮と家茂の墓参り


大奥とは

★★★

好調「篤姫」の宮崎あおいがスタッフと衝突か

<篤姫>視聴率20%超 人気の秘密は「家族愛」
大河ドラマ「篤姫」絶好調 視聴率20%超 主演の宮崎さんに好感03/08
「篤姫」女性の心つかむ 視聴率20%超 主演の宮崎あおいに好感
★★★

2010年度の大河ドラマは『龍馬伝』に決定! 主役は「“大人”の俳優に・・・」6月5日

常盤貴子に長澤まさみ「09年大河」気になる配役事情6月4日
北村一輝が準主役!妻夫木が仕える武将・上杉景勝

★★★

<妻夫木聡>「伝える使命感を感じる」 NHK大河ドラマ「天地人」で主役・直江兼続

主演は妻夫木聡さん=来年のNHK大河ドラマ「天地人」

大河ドラマ篤姫で家定の母・本寿院を熱演中・高畑淳子さん「スタジオパークからこんにちは」に登場

現存最大の墓誌出土…徳川将軍家、大奥の華麗な副葬品も

大河ドラマ 篤姫 http://www.nhk.or.jp/taiga/

天璋院 - Wikipedia

大河ドラマ 篤姫 http://www3.nhk.or.jp/taiga/

篤姫 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

NHK篤姫」 : 大河ドラマ情報
posted by 江〜篤姫 at 08:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫

重野役中嶋朋子さんにインタビュー(NHK篤姫HPへより)

重野:中嶋朋子

篤姫付きの御年寄。

大奥での工作を有利に進めるために幾島の命を受けて本寿院滝山の注視を命じられる。

また当初は表使であったが、幾島大奥を去る際に、表に顔の利く事を見込まれて御年寄に抜擢される。

篤姫 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

大河ドラマ「篤姫」第31回「さらば幾島」

大河ドラマ 篤姫・中嶋朋子さんへインタビュー・柔らかいクッションのような存在に・・

重野は幾島さんに替わって天璋院様のそばにつくことになりましたが、幾島さんなら自分のあとにどんな人を持ってくるんだろうって考えますね。

すでに天璋院様は、独特の感性と個性で大奥のトップに立たれている方。その方に添い遂げていくのだから、叱咤激励するというよりは、進んで行く道に不安を覚えるようなとき、他の人には言えないようなことを言える存在になれればいいのかなと思います。

これからの天璋院様は、いちだんと激動の嵐の中に立ち続けることになり、より強さが求められる。でも、そこでがんばり過ぎないように、どこかで柔らかく受け止めるクッションのようになれたらいいのかなって。

たとえば、徳川家の人間として『薩摩のことは忘れようと』と、がんばっていらっしゃるときに、『そのことは置いておいてもいいんじゃないですか』と、言ってみたり。がんばり過ぎる彼女の肩の力を少し抜いて上げるといった感じですね。

だから、必ずしも“切れ者”でなくていいと思うんです。むしろキャリアとかそういうものを超えたところで、ものが言えたり、お腹でものを感じて判断出来るような人のほうがいいのかなあって。きっと、これからの天璋院様に必要なのは、彼女とはどこか違ったところで判断が出来たり、情とも違う、もちろん計算でもなく、有無を言わさず一緒についていける人なんでしょうから。

重野には、ちょっとおっちょこちょいなところもあるようですが、型破りな天璋院様のそばにいても“参っちゃわない”ような感じがいいのではないでしょうか(笑)。


重野は、あとから大奥に入ってきたので、これまでの確執などに左右されることなく、中立でいられる部分がありますよね。どんなものにも、ものおじせずに意見を言うような場面もちらほら出てきます(笑)。それというのも、重野自身が凝り固まったジャッジを持っている人ではないからなんでしょうね。

たとえ敵対している相手でも『この人は正論を言っている』というふうに、一歩引いたところからみることが出来る。傍観者ではなく、まっただ中にいながら観察をするというタイプの人だと思います。

あちらの人が言うことに『ふんふん』と耳を傾け、こちらの人の話を『なるほどねえ』と受け止める。そんなふうに、いろんな人に敬意を持って接するということを、自分の中で大事にしている。そういう人にしていきたいですね。

もっとも、どちらかと言えば、『あ、この人はすごい』という嗅覚で、どこまでもついていこうと思っちゃうタイプ(笑)。決して計算ではないんです。もし計算が出来れば、そんなことは言わないとか、もっと手綱を締めなくてはいけないと思えるような場面もあるんですよ。

天璋院様が『薩摩に帰ろうかな』と思っているときに、引き留めるのではなく『一緒についていきます』となってしまったり(笑)。ある種、情に流されるというか、けっこう頼りない部分もあるんですけど、そこはお腹で感じる人というふうに理解しています。

中嶋 朋子(なかじま ともこ、1971年6月5日 - )は、女優。東京都出身。身長157cm。砂岡事務所所属 。

1975年に劇団ひまわりに入団し、1976年にテレビデビュー。1981年から2002年にフジテレビで放送されたテレビドラマ『北の国から』の黒板蛍役で一躍有名になった子役出身の女優。1990年に出演した映画『つぐみ』では各映画賞を受賞し、舞台などでも活躍している。

1998年に6歳年上のヘアメークアーティストの西村俊範と入籍。入籍時には妊娠7カ月で、同年6月に男児を出産。『北の国から』最終回スペシャルでは長男・西村成忠が蛍の息子役として登場した。




posted by 江〜篤姫 at 08:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫・キャスト
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。