2008年10月27日

NHK大河ドラマ「篤姫」第43回「嫁の決心」

今年の大河でブレークする女優は原田夏希
堀北真希に恋のうわさ

宮崎あおい 紅白司会者に!?
宮崎あおいの収入は5億数千万円!

堀北真希さんインタビュー(篤姫HPより)
悩みを打ち明ける「ともさかりえ」は大丈夫か


NHK大河ドラマ篤姫第43回「嫁の決心」

徳川家茂松田翔太)の死(享年21歳)を聞かされた天璋院篤姫宮崎あおい)は悲しみに沈んでいた。

勝(北大路欣也)

「あれほどにけがれなき心の持ち主を私は知りません・・」

薩摩では、小松帯刀瑛太)が久光(山口祐一郎)の命を受け、京へ上る準備をしていた。

お近(ともさかりえ)に、お琴(原田夏希)とは別れると告げて出発する、小松帯刀瑛太)だったが、9ヶ月ぶりに京に行くと・・お琴(原田夏希)との間に子ができていたことを知り、別れを切り出せなくなってしまう。

天璋院篤姫宮崎あおい)は、和宮堀北真希)が髪をおろすこともなく京へ帰るつもりだと聞き、真意を問いただす。

和宮堀北真希)は、

「なくなられたということがいまだに信じられないからです・・幕府も徳川家も大奥も、自分にとってはもうどうでもよろしいのです・・」

大奥では、和宮堀北真希)が京に帰る日取りを天璋院篤姫宮崎あおい)へ報告に来る。

和宮堀北真希)を責める本寿院(高畑淳子)に対し、、和宮堀北真希)は徳川家茂松田翔太)を心から思っていたと反論する天璋院篤姫宮崎あおい)であった。

和宮堀北真希)は徳川家茂松田翔太)への思いを断ち切るように髪を下ろし静寛院となる。

「これで心残りなく京に戻れると思ったまでのこと・・」

天璋院篤姫宮崎あおい)は

「あとのことはご心配なく・・心安らかに京へお戻りくださいませ」

12/25・・和宮静寛院堀北真希)の兄の帝も亡くなりました。

「私が苦しめたのか・・・お役目を果たせなかったせいか・・」

泣く崩れる和宮静寛院堀北真希

帝の崩御は徳川慶喜(平岳大)にも大きな打撃を与えます。

小松帯刀瑛太)は

「今こそ、有力諸侯を集って会議を行い巻き返しを図るよい機会です。」

西郷(小澤征悦)大久保利通(原田泰造)と協力し、有力大名が政治に参加する列侯会議を開くことに成功する。

打ち合わせの最中、小松帯刀瑛太)の子供、安千代をあやしながら・・

「この子は小松家の子供として育てます。安心して仕事ができるのです。私の身になにかあっても、この子が志を継いでくれるでしょう。お近(ともさかりえ)もわかってくれると思います・・」

慶応3年正月・・

お近(ともさかりえ)は子供を授かったという手紙を受け取ります。

お龍(市川実日子)さん・・・あなたなら喜んで差し上げなさいと言われるのでしょうか・・」

その頃、坂本龍馬玉木宏)とその妻・お龍(市川実日子)は長崎におりました。

お龍(市川実日子)は小松家の長男誕生の知らせに、うれし涙、悔し涙両方の涙を流す・・

京では

徳川慶喜(平岳大)列候会議(有力諸侯を集めて政を進める)への出席を求める、小松帯刀瑛太

しかし、したたかな徳川慶喜(平岳大)に翻弄され、会議は失敗に終わる。

こうなれば力で幕府を倒すしかないと決意する西郷(小澤征悦)大久保利通(原田泰造)に、小松帯刀瑛太)は衝撃を受ける。

徳川慶喜(平岳大)による兵庫開港で攘夷はなくなりました。

天璋院篤姫宮崎あおい)は

「宮様は役目を終えられたということ、一刻も早く京へ戻っていただきましょう」

和宮静寛院堀北真希)がやってきて・・

「なぜそのように笑っておられるのですか、この大事なときに私が京へかえると言うのに」

天璋院篤姫宮崎あおい)は

「それが宮様のお望みだからです。私も己の道を生きてまいりました。宮様にも宮さまの思う道を生きてほしいのです。

徳川幕府、大奥を背負うことは私の道なのでしょう・・ならばそれを全うするまでのことにございます」

和宮静寛院堀北真希)は

「なぜそのようにお強いのですか・・母上様はお強うございます。私は京へ逃げ帰ろうとしております。

私は京へは帰りません。

私は毎日、公方様より賜った西陣織を見て暮らしております。そのたびに、徳川のために生き、若くして亡くなった公方様を思われてなりません、さぞ無念だったろうと、どんなにか心残りがあったろうと・・

京へ帰っては申し訳がたちません

母上さまがどうしてそのように強く生きられるのか、覚悟をもてるのか学びたくなりました。」

天璋院篤姫宮崎あおい)は

「私が強いのだとしたら、私のそばにはなくなられた上様が付いていてくださると思えるからかもしれません

慕っております、今もなお・・

宮様は、はじめて母と呼んでくださいました。あなたは徳川のお方になってくださったのでございますね。こんなに嬉しいことはございません。」

天璋院篤姫宮崎あおい)と和宮静寛院堀北真希)は力を合わせて徳川家を守っていこうと誓い合ったのです

★★★

増上寺に墓参りに訪れた松田翔太と堀北真希

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★★★

NHK大河ドラマ「篤姫」第42回「息子の死」26.3%
NHK大河ドラマ「篤姫」第41回「薩長同盟」24.2%
NHK大河ドラマ「篤姫」第40回「息子の出陣」28.1%
NHK大河ドラマ「篤姫」第39回「薩摩燃ゆ」24.7%
NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第39回

大河ドラマ 篤姫 http://www.nhk.or.jp/taiga/

天璋院 - Wikipedia

大河ドラマ 篤姫 http://www3.nhk.or.jp/taiga/

篤姫 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

NHK篤姫」 : 大河ドラマ情報

皇女和宮について

皇女 和宮


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2008年10月26日

堀北真希さんインタビュー(篤姫HPより)

堀北真希に恋のうわさ

和宮は、自分自身の幸せより“国のため、人のため”にがんばることのできた人だったんですね。

攘夷の実行のために江戸にお嫁に来たことも、のちに天璋院の影響を受けて徳川のために動くこともそう。とても使命感の強い人だったと思います。悲劇のイメージもあったのですが、公武合体で結婚した家茂さんとは本当にいい夫婦になっています。ふたりの結婚生活は長くは続かなかったけれど、女の人としての幸せを感じることもできたのではないかと思います。

ただ、最初のうちは、なぜ江戸に行くことがそれほど嫌なのか、いまひとつ実感できないところがありました。身分の低いところにお嫁に行くのが嫌だったのか、そもそも“身分”ということがよくわからないという具合(笑)。でも、いろいろ質問したり、お話しているうちに気がついたのは、現代の京都と東京の距離感とは比べものにならないほどの違いを感じていたのかなということ。見た目も言葉づかいも習慣も何もかも違うところに行く恐ろしさもあったでしょうし、婚約者もいたのだから泣く泣くお嫁に行ったというのもわかりますね。

江戸に入る前の、和宮の空白の部分を埋めるのは大変でしたが、江戸に入ってきてからの感情の流れというのは、自分も演じながら追っているのでわかりやすかったです。

江戸時代は遠い昔のことのように思っていたのですが、和宮を演じることで身近に感じられるようになりました。江戸から明治に移り、そこから外国との交流が始まって現在につながっているということがよくわかります。時代が変わり、その間に戦争もあったけれど、当時の人たちに感謝しなくてはいけないなって思います。


和宮は立場上、公の場で自ら口を開くことがなかったんですね。必要なことは誰かを通して伝えるという育ち方をしてきた人なので、自分の思いを言葉で話そうとしない。でも、言葉に出さないだけで感情は人並みにありますから、それをどう表現するのかというのが難しかったですね。ただ目線を動かすだけで、見ている方に和宮の思いが伝わるのかしらとか。お芝居するうえで、いろいろ工夫することが多かったです。

所作に関しても座る位置、手をつく場所、頭を下げる角度など、細かい決まりごとがとても大事だということがよくわかりました。そういえば、和宮は基本的に頭を下げないんですよ。そういう立場だったんです。そんな和宮が大奥に来て、だんだん天璋院に頭を下げるようになるんです。そんなところにも、天璋院の影響を受けて少しずつ心境が変化していった和宮の気持ちが表れていたりします。

大変だったのは家茂さんとのラブシーンでした。そこでもきちんと所作というのがありましたから(笑)。ふたりがふれあっているときって、ふつうはお互いに支え合って成り立ちますよね。でも、そこできちんとした形をキープしなければいけない。ふたりともどこか無理な体勢なのでぎくしゃくとしてふるえたり、かつらが大きいので頭をどこにつけたらいいのか困ったり。本当に大変でした(笑)。

かつらは、おすべらかし、切り髪を経験できたのですが、明治になると少しモダンな髪型になるそうです。衣装も十二単(ひとえ)からお被布まで、いろいろと楽しんでいます。

物語は、家茂さんが亡くなったあと徳川家がだんだん追い詰められていくのですが、そこで天璋院や和宮が運命に巻き込まれながら、どう生きていくのか。ふたりの関係がどうなっていくのかというところが見どころだと思います。天璋院と和宮がどうわかり合っていくのかという部分に注目してくださいね。

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2008年10月20日

NHK大河ドラマ「篤姫」第42回「息子の死」

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チューボーですよにゲスト出演、松田翔太さん

NHK大河ドラマ篤姫第42回「息子の死」

天璋院篤姫宮崎あおい)と和宮堀北真希)は、出陣した徳川家茂松田翔太)の無事を一心に祈っていた。

徳川家茂松田翔太)は大坂にあり、徳川慶喜(平岳大)と長州攻めの準備をしていた。しかし薩摩藩の大久保利通(原田泰造)strong>に兵を出すことを断られ、準備はなかなか進まない。

徳川家茂松田翔太)江戸から勝(北大路欣也)を呼びよせ、事態を打開しようとするが徳川家茂松田翔太)は病に倒れてしまう。

勝(北大路欣也)は、
「なぜ薩摩は長州の味方をし、幕府に従おうとしないのか」とのを天璋院篤姫宮崎あおい)の質問に

「時代がかわりつつあるとしか申せません。国を閉ざしている間はそれでよかったが、異国と向き合うようにり、このままでは日本国はよくならない、強くもなれないと皆が気づき始めている。江戸開幕依頼260年、もはた、世の流れにはさからえぬかと・・」

天璋院篤姫宮崎あおい)は

「それでも私は徳川家を守らなければならぬ・・。」

同じ頃、薩摩では

一方、小松帯刀瑛太)は幕府の役人に襲われて傷を負った坂本龍馬玉木宏)とその妻・お龍(市川実日子)をかくまうため薩摩へと案内していた。

お近(ともさかりえ)と再会した小松帯刀瑛太)は、京で お琴(原田夏希)と一緒に暮らしていることを告白する。

「すまない、京の屋敷に女子をおいている・・」

「やはりそうでしたか・・このところ、京からの手紙がやたら増え、そんなことではないかと察しておりました・・」

怒りを抑えられず小松帯刀瑛太)につらく当たるお近(ともさかりえ)だったが、

お龍(市川実日子)

「京都では命を狙われることもある、支えてくれそうなおなごはいればついその気になることもあります・・」

お近(ともさかりえ)

「昔、夫には好きな女性がおりました。おかつさま・・でもその方は手の届かぬところへ行ってしまいました。不安になるのです、すきでもないのに結婚したのではないかと。だから、お琴さんのことを本当に好きなのではと、心が揺れてしまうのです。」

お龍(市川実日子)

「惚れておいでですな。惚れられるより、惚れるほうがうんと幸せです、坂本龍馬玉木宏)はいつ死ぬかわからん男、なにをしでかすかわからん男・・でも惚れてるんです。心配ですけど、出会えただけで幸せやと思ってます。なにがあろうと惚れた相手が生きてさえいてくれればいいではありませんか・・」

と諭され、小松帯刀瑛太)を許す。

そのころ大奥には、徳川家茂松田翔太)が病で倒れたとの知らせが伝わっていた。

天璋院篤姫宮崎あおい)と和宮堀北真希)は唐橋(高橋由美子)の勧めで、大奥には、徳川家茂松田翔太)の元に漢方医を派遣することにする。

慶応2年6月、幕府と長州の戦は始まりました。

徳川家茂松田翔太)の病状は悪化、勝(北大路欣也)は死の床の、徳川家茂松田翔太)と対面する。

徳川家茂松田翔太)は若くしてこの世を去る悔しさに身を震わせながら、

「わしはなにかをなしえたといえるのであろうか、将軍として、男として・・悔しいのう・・」

勝(北大路欣也)天璋院篤姫宮崎あおい)と和宮堀北真希)のことを託す。そしてひっそりと息をひきとるのだった……。慶応2年7月20日

唐橋高橋由美子):御年寄。実家は京都漢方医

チューボーですよにゲスト出演、松田翔太さん
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コメンテーターとして活躍しそうな脚本家「田渕久美子」
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★★★

NHK大河ドラマ「篤姫」第41回「薩長同盟」24.2%
NHK大河ドラマ「篤姫」第40回「息子の出陣」28.1%
NHK大河ドラマ「篤姫」第39回「薩摩燃ゆ」24.7%
NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第39回

大河ドラマ 篤姫 http://www.nhk.or.jp/taiga/

天璋院 - Wikipedia

大河ドラマ 篤姫 http://www3.nhk.or.jp/taiga/

篤姫 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

NHK篤姫」 : 大河ドラマ情報

皇女和宮について

皇女 和宮
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和宮(かずのみや)・堀北真希

「土曜スタジオパーク」篤姫で和宮皇女を演じるに堀北真希さん登場・その2
「土曜スタジオパーク」篤姫で和宮皇女を演じるに堀北真希さん登場

★★★

大河「篤姫」はいよいよ30%超えか (日刊ゲンダイ2008年8月13日掲載)
注目番組の視聴率(北京五輪・篤姫)
「篤姫」視聴率26・4%、内柴金を上回る

★★★

NHK大河ドラマ篤姫

和宮(かずのみや)・堀北真希

孝明天皇の妹。篤姫の義嫁。「公武一和」という政略のため将軍・家茂に嫁いだ。当初はどうしても武家のしきたりに馴染むことが出来ず、篤姫との関係もぎくしゃくしてしまう・・・。

大河ドラマ 篤姫

★★★

堀北真希、松田翔太が和宮と家茂の墓参り

★★★

和宮親子内親王皇女和宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


皇女和宮 和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう、弘化3年閏5月10日(1846年7月3日) - 1877年9月2日)

仁孝天皇の第8皇女で、孝明天皇の異母妹。江戸幕府第14代将軍徳川家茂の正室である。

「和宮」は誕生の際に賜られた幼名で、「親子」は文久元年(1861年)の内親王宣下の際に賜られた諱である。号は静寛院宮(せいかんいんのみや)。

[不本意な結婚と大奥との対立]

江戸時代はもとより、それ以前に於いて、皇女が武家に降嫁し、関東下向した唯一の例である[1]。当初和宮自身がこの結婚に疑義を唱えていたのは有名な話であり、結局家茂との結婚が決まった[2]後も、幕府に異母姉淑子内親王の御殿[3]の建設や、降嫁後も大奥風ではなく御所風の生活を守ることなどを約束させている。但し、「御所風の生活」の方は幕府首脳が大奥に全く根回ししていなかったため約束は破棄同然となり、幕末の大奥が大混乱に陥った一因となった。

文久2年2月11日和宮と家茂の婚儀が行われたが、その様子はそれまでの十三代の将軍たちの婚儀とは異なっていた。和宮が征夷大将軍よりも高い身分である内親王の地位で降嫁したため、嫁入りした和宮が主人、嫁を貰う家茂が客分という逆転した立場で行われることとなった。このことは後々まで江戸城内において様々な形で尾を引くこととなった。江戸城内では武家の習いで将軍の正室を「御台様(みだいさま)」と呼んでいたが、親子はこれを拒否し「和宮様」と呼ばせたり、挨拶は家茂から和宮に言上するなどそれまでの徳川将軍家の慣例を破ることになり、江戸武家方と京都御所方双方の対立を煽ることとなった。

大奥で中臈だった大岡ませは、廊下で和宮に会った時、廊下の隅で平伏した自分の前を通り過ぎる和宮の袴からでた足が、足袋を履かずに素足だったことの驚きを明治になって語った。江戸大奥では足袋を履くのが決まりであったが、御所では勅許が出ないうちは足袋を履かないという「御所風の生活」を文字通り和宮が主張した結果のためである。尤も和宮に限らず御所方の宰相典侍庭田嗣子の「御側日記」にも、5月2日日光輪王寺の強飯式に「足袋をはかされ申すこと江戸方御用に懸り候人々式日にて眉なし」と記し、無理矢理足袋を履かされたことに対する困惑が見られた。

しかし江戸城大奥における武家方従者と御所方従者の対立とは別に、家茂は側室をおかず、和宮を生涯の伴侶とし、夫婦仲は良好であったとされている


[家茂死後]

和宮と家茂の間に子はなく、家茂は田安慶頼の子亀之助(のちの徳川家達)に相続させることを表明していたが、家茂薨去後、和宮は「唯今の時勢、幼齢の亀之助にては如何あるべき、確かなる後見の人なくては協(かな)はざることなれば、然るべき人体を天下の為に選ぶべし」と語ったという。老中板倉勝静らも多事多難の折柄、一橋慶喜こそ将軍に立てるべきと斡旋し、慶喜の後継に亀之助をと和宮に伺ったところ、和宮は「御遺命さへ反故とならずば異存なし、中納言(慶喜)の後をば必ず亀之助に継がしむべし」と許可したという。


[晩年]

幕府瓦解後一旦京都へ戻った和宮だが、明治天皇や天皇に随従して市谷砂土原に居住していた叔父の橋本実麗らの勧奨もあり再び東京へ戻ることを決め、明治7年7月に東京に戻り、麻布市兵衛町にある元八戸藩南部遠江守信順の屋敷に居住した。東京移居後は皇族や天璋院や家達をはじめとした徳川一門など幅広い交流を持つようになった。しかしこの頃より脚気を患い、明治10年8月、元奥医師の遠田澄庵の転地療養の勧めがあり箱根塔ノ沢へ向かった。転地療養先では地元住民との交流も行われたという証言がある[5]。程なく明治10年9月2日早朝、脚気衝心のため療養先の塔ノ沢で薨去する。

和宮親子内親王 - Wikipedia

皇女和宮について

皇女 和宮

皇女和宮 辞世の句

★★★


【2008年3月21日掲載】日テレ開局記念番組で結果を残した堀北真希
2008年3月24日(月)10時0分配信 日刊ゲンダイ



NHK大河ドラマ篤姫

<篤姫>視聴率20%超 人気の秘密は「家族愛」

堀北 真希(ほりきた まき、1988年10月6日 - )東京都清瀬市出身

2002年 - 中学2年生の時、部活動の帰宅中に畑道でジャージ姿でスウィートパワーにスカウトされる。当初は断ったものの、1ヶ月程して関係者による自宅訪問を受け芸能界入りが決まる。

2003年1月 - ドラマ『いつもふたりで』でテレビ初出演

2003年7月 - 映画『COSMIC RESCUE』のヒロイン役オーディションに合格し、同作で映画デビュー。

2003年10月 - ドラマ『ケータイ刑事 銭形舞』でテレビドラマ初主演。

2004年2月 - 映画『渋谷怪談2』で映画初主演。

2006年4月 - 『クロサギ』吉川氷柱役でヒロインを好演。

2006年10月 - 『鉄板少女アカネ!!』で、地上波のテレビドラマ初主演

2008年2月 - 第31回日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞。(『ALWAYS 続・三丁目の夕日』)


堀北真希、人生初の胸ぐらつかんでケンカ
堀北真希「男の子の方が…」
堀北「初めての合コン」…30日放送「恋のから騒ぎ―」
堀北真希「びっくりした」
堀北真希、大好きミッキーと共演…東京ディズニーリゾート写真展開幕
この人物のオモテとウラ 堀北真希(女優)

「篤姫」和宮役に堀北真希!時代劇初挑戦
堀北真希、19歳の目標は「鼻でリコーダーを吹きます」
“男女2役”堀北真希ひとりでキスシーン…映画「東京少年」
男子制服姿の堀北真希、“イケメンモデル”でファッションショー
堀北真希 映画でも“男の子”演じる
男の中の男!?堀北真希はどこ!?…



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徳川慶福(家茂)★松田翔太

NHK大河ドラマ「篤姫」第42回「息子の死」

NHK大河ドラマ篤姫第23回「器くらべ」その2より登場。

「めちゃめちゃかっこいい・・あの通り!!」と母・松田美由紀(グータンヌーボ)

チューボーですよにゲスト出演、松田翔太さん

松田翔太さんインタビュー(篤姫HPより)

★★★

NHK大河ドラマ篤姫

徳川慶福・14代将軍徳川家茂松田翔太

徳川第14代将軍。公武合体政策のため天皇の妹である和宮と結婚。周囲の不安をよそに2人は仲睦まじく過ごすが、長州征討のため大坂城出陣中に短い生涯を閉じてしまうことに・・・。大河ドラマ 篤姫

松田翔太(まつだ しょうた、1985年9月10日 - )
父親は松田優作、母親は松田美由紀、兄は松田龍平、伯母は熊谷真実という芸能一家である。兄とは仲がよく、また妹は松田兄弟にとってアイドル的存在であるというhttp://pikamama1119.seesaa.net/category/4294884-1.html

NHK大河『篤姫』に堺雅人、玉木宏、松田翔太、堀北真希ら決定

徳川 家茂(とくがわ いえもち)は、江戸幕府第14代征夷大将軍。将軍就任の前は御三家紀州藩第13代藩主。初名は徳川 慶福(とくがわ よしとみ)。

徳川斉順(清水徳川家および紀州徳川家の当主)の長男であるが、父は家茂が生まれる前に薨去した。祖父は徳川家斉、祖母は妙操院。正室は孝明天皇の妹・和宮親子内親王(静観院宮)。公式には側室は持たなかった(但し、関係のあった女性の噂があり、墓所の調査(後述)から妾の存在を示唆する意見がある)。4歳で紀州藩主となったが、徳川氏中、嗣子の無い第13代将軍・徳川家定に最も近い血筋の人物[1]であるとして、井伊直弼ら南紀派の支持を受けて13歳で第14代将軍となる。血筋だけでなく英明な風格を備えており、勝海舟をはじめ幕臣からの信望厚く、忠誠を集めたと言われている。

弘化3年(1846年)、和歌山藩の第11代藩主・徳川斉順の次男として生まれる。嘉永2年(1849年)に叔父で第12代藩主である徳川斉彊が死去したため、その養子として家督を継いで第13代藩主となった。

安政5年(1858年)、一橋派との抗争の末に勝利し、直後に第13代将軍・徳川家定も死去したために第14代将軍となった

文久2年(1862年)に公武合体策の一環として和宮と結婚。政略結婚ではあるが、和宮に対してたびたび贈り物をするなど非常に気を遣い、2人の関係は良好であった。徳川家歴代の将軍と正室の中で最も夫婦仲がよいといえたのは家茂・和宮であったといわれたほどである。

慶応2年(1866年)、家茂は第2次長州征伐の途上大坂城で病に倒れた。この知らせを聞いた孝明天皇は、典薬寮の医師である高階経由と福井貞憲の2人を大坂へ派遣し、その治療に当たらせた。江戸城からは、天璋院や和宮の侍医として留守をまもっていた大膳亮弘玄院、多紀養春院(多紀安琢)、遠田澄庵、高島祐庵、浅田宗伯らが大坂へ急派された。しかしその甲斐なく、家茂は大坂城にて薨去した。享年21

家茂はわずか20年の生涯であったが、幕末の動乱期の中をその若さで潜り抜けていることは高く評価されている。勝海舟からは、「若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれない。武勇にも優れていた人物であった」と評価されている。

また、幕臣からも信望が厚かったと言われ、家臣や女性や動物たちに至るまで非常に優しい態度で接する一方、剛毅な一面を持つ人柄が明治後に旧幕臣たちなどからさまざまな逸話で伝えられている。

羊羹、氷砂糖、金平糖、カステラ、懐中もなか、三色菓子など甘いものを好んだ。虫歯や脚気の原因はこれらの食べすぎだと思われる。
四肢骨からの推算で身長は156.6センチである。
徳川家茂 - Wikipedia


十四代将軍 徳川家茂
http://www.uraken.net/rekishi/reki-tokugawa14.html

黄昏呆助のひとり言: 皇女和宮と徳川家茂
http://tasogaresan.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_0ec0.html

幕末写真館

徳川幕府十五代全将軍

江戸東京博物館|「徳川家茂とその時代」展


歴史上の人物と和菓子 -徳川家茂(とくがわいえもち)−虎屋の将軍家 ...


徳川慶福(家茂)松田翔太:NHK大河ドラマ「篤姫」

徳川家茂
http://www.chohoji.or.jp/promenade/iemoti.htm
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2008年10月13日

NHK大河ドラマ「篤姫」第41回「薩長同盟」

チューボーですよにゲスト出演、松田翔太さん
ホマキ、初のセミヌードショット

高畑淳子 降板も考えた…まぶた垂れて手術
コメンテーターとして活躍しそうな脚本家「田渕久美子」
『篤姫』視聴率28.1 %、最高記録を更新

★★★

NHK大河ドラマ篤姫第41回「薩長同盟」(10/12)

慶応元年4月末、長州攻めのため徳川家茂松田翔太)が出陣する日が近づいていました。

徳川家茂松田翔太)は、出陣の前に次期将軍は田安家の亀之助(3歳)を推したいと、天璋院篤姫宮アあおい)に告げます。

世継ぎを決めておけば、自身に万一のことがあろうとも将軍継嗣争いは起こらぬと考えたのでした。

徳川家茂松田翔太)は、「戦を一刻も早く終わらせるために出陣するのです。」

笑って送りだそうと決めた、天璋院篤姫宮アあおい)に対し、ただ無事であって欲しいと願う、和宮堀北真希)。

2人の心の溝はいまだ埋まらない。そんな折、観行院(若村麻由美)が亡くなり、、和宮堀北真希)は心の支えを失う。

一方薩摩では、小松帯刀瑛太)が坂本龍馬玉木宏)と共に、これまで反目しあってきた薩摩と長州とが手を結び、幕政改革を行うことを構想する。

京都へ向かった、小松帯刀瑛太)は、芸妓の琴花・お琴(原田夏希)との運命的な出会いを果たす。

小松帯刀瑛太)に惹(ひ)かれた琴花・お琴(原田夏希)は、小松帯刀瑛太)の屋敷に住むことになる。

慶応2年、家茂上洛から半年以上経ても何の動きもないことに疑問を抱く、天璋院篤姫宮アあおい)は、勝燐太郎(北大路欣也)を通じて、薩摩と長州が急接近しており、その働きかけが、小松帯刀瑛太)によるものであると知り驚がくする。

そんな中、京都の小松屋敷ではいよいよ薩長同盟が結ばれようとしていた。
(慶応2年1月21日)

★★★

重野(中嶋朋子)

歌橋(岩井友見)

お龍市川実日子)坂本龍馬の妻。京都の薩摩藩邸で西郷隆盛の媒酌で坂本龍馬と結婚した。龍馬とともに薩摩を訪れ、小松帯刀の家に滞在。日本人初の“新婚旅行”とも言われている。大河ドラマ 篤姫

市川実日子いちかわみかこ、1978年6月13日 - )は、日本の女性ファッションモデル・女優。東京都大田区出身。血液型A型。身長169cm。所属事務所はラウダ。姉は同じくモデル出身の女優の市川実和子。映画『めがね』(荻上直子監督、2007年)。ドラマ『すいか』(日本テレビ系列、2003年)-芝本ゆか役、『喰いタン2』(2007年、日本テレビ系列) - 出水京子役
市川実日子 - Wikipedia

★★★

NHK大河ドラマ「篤姫」第40回「息子の出陣」28.1%
NHK大河ドラマ「篤姫」第39回「薩摩燃ゆ」24.7%
NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第39回

薩長同盟

薩長同盟 (さっちょうどうめい)は、江戸時代後期の慶応2年1月21日(1866年3月7日)に幕末の薩摩藩と長州藩の間で締結された政治的、軍事的同盟である。薩長盟約、薩長連合ともいう。

幕末の政治世界で影響力を持った薩摩藩と長州藩は討幕の思想では共通していたが、西郷隆盛・大久保利通らの薩摩は、1864年(元治元年)の会津藩と協力した八月十八日の政変や禁門の変で長州を京都から追放し、第一次長州征伐(幕長戦争)などで薩摩が長州を屈服させて以来感情的には敵対していた。長州、薩摩共に伝のある土佐藩脱藩の坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋により、主戦派の長州藩重臣である福永喜助宅において会談が進められ、下関での会談を西郷が直前に拒否する事態もあったが1月21日(22日説も)京都薩摩藩邸(京都市上京区)で坂本を介して西郷隆盛、薩摩藩家老の小松帯刀と長州藩の木戸孝允(当時は桂小五郎)が倒幕運動に協力する6か条の同盟が成立した。

提携内容(6ヶ条)
一、戦いと相成候時は、すぐさま二千余の兵を急速差登し、只今在京の兵と合し浪華へも一千程は差置き、京阪両所相固め候事

一、戦、自然も我が勝利と相成り候気鋒相見え候とき、其節朝廷へ申上げきっと尽力の次第これあり候との事

一、万一敗色に相成り候とも、一年や半年に決して潰滅致し候と申す事はこれなき事に付き其間には必ず尽力の次第これあり候との事

一、是なりにて幕兵東帰せし時は、きっと朝廷へ申上げすぐさま冤罪は朝廷より御免に相成り候都合にきっと尽力との事

一、兵士をも上国の土、橋、会、桑も只今の如き次第にて、勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗し、周旋尽力の道を相遮り候時は、終に決戦に及ぶほかこれなくとの事

一、冤罪も御免の上は、双方とも誠心を以て相合し、皇国の御為に砕身尽力仕り候事は申すに及ばず、いづれの道にしても、今日より双方皇国の御為め皇威相輝き、御回復に立ち至り候を目途に誠しを尽くして尽力して致すべくとの事なり

坂本龍馬が裏面に朱書で、裏書署名している。

表に御記入しなされ候六条は小・西両氏および老兄龍等も御同席にて談合せし所にて、毛も相違これなく候。従来といえども決して変わり候事はこれなきは神明の知る所に御座候。 

薩長同盟 - Wikipedia

大河ドラマ 篤姫 http://www.nhk.or.jp/taiga/

天璋院 - Wikipedia

大河ドラマ 篤姫 http://www3.nhk.or.jp/taiga/

篤姫 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

NHK篤姫」 : 大河ドラマ情報

皇女和宮について
http://homepage2.nifty.com/amida/newpage15.html

皇女 和宮
http://www.h3.dion.ne.jp/~tammy22/sub66.htm
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2008年10月06日

NHK大河ドラマ「篤姫」第40回「息子の出陣」

NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第39回
NHK大河ドラマ「篤姫」第39回「薩摩燃ゆ」
24.7%

松田翔太さんインタビュー(篤姫HPより)

★★★

NHK大河ドラマ篤姫第40回「息子の出陣」(10/5)

幕末、権威の落ちた江戸幕府に代わり、政治の舞台は京都に移りつつありました。

勢力を伸ばしたのは薩摩藩島津久光

しかし、島津久光が京都を離れている隙に、尊皇攘夷を掲げる長州藩が台頭し朝廷を接見。

両者の対立は一食触発の状態に。

長州藩の暴走を快く思わない公武合体派の薩摩藩らは長州を追い落とすことに成功・・・

★★★

元治元年(1864)春、大奥では、穏やかな毎日が過ぎていました。

そんな中、京都での勢力回復をはかる長州藩が、挙兵の準備を始めていました。

薩摩藩では

誠忠組の面々のもとに、島流しにされていた西郷(小澤征悦)が2年ぶりに帰ってくる。(軍賦役になる予定。)

その祝宴の席で、家老・小松帯刀瑛太)は芸妓・琴花・お琴(原田夏希)と運命的な出会いをする。

そんな中、京都での勢力回復をはかる長州藩が、御所への突入を決行する。

世に言う「蛤(はまぐり)御門の変」である。

小松帯刀瑛太)ら薩摩藩は幕府軍として参戦し、徳川慶喜(平岳大)とともにこれを迎え撃ち、みごと勝利をおさめる。

一方、大奥では、滝山(稲森いずみ)が将軍・徳川家茂松田翔太)に側室を持たせてはどうかと、天璋院篤姫宮アあおい)に進言する。

一刻も早く世継ぎをもうけて、徳川家の安泰を図りたい一心からであった。

しかし、和宮堀北真希)と徳川家茂松田翔太)の仲むつまじい夫婦ぶりに水をさしたくない、天璋院篤姫宮アあおい)は、これに強く反対する。

勝燐太郎(北大路欣也)の創設した海軍操練所は、「蛤御門の変」の影響を受け、閉鎖の危機を迎えていた。

勝燐太郎(北大路欣也)は弟子の坂本龍馬玉木宏)を小松帯刀瑛太)のもとに遣わし、塾生たちの面倒を見てもらうよう願い出る。

そのころ江戸城では、和宮堀北真希)に懐妊の兆しが見え、大奥は喜びにつつまれる。

ともに孫の誕生を待ちわびる天璋院篤姫宮アあおい)と観行院(かぎょういん・若村麻由美)
は喜びを分かちあう。

ところが、それから間もなく、和宮堀北真希)の懐妊は間違いであったことがわかる。

★★★

「私はまもなく出陣いたします、長州征伐です・・」徳川家茂松田翔太)は、天璋院篤姫宮アあおい)と、和宮堀北真希)に告げます。

★★★

重野(中嶋朋子)

歌橋(岩井友見)

★★★

NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第39回
NHK大河ドラマ「篤姫」第39回「薩摩燃ゆ」24.7%

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天璋院 - Wikipedia

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NHK篤姫」 : 大河ドラマ情報

皇女和宮について
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皇女 和宮
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松田翔太さんインタビュー(篤姫HPより)

NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第39回

将軍・家茂役、松田翔太さんの得意料理はうにクリームパスタ・

★★★

徳川家茂松田翔太さんインタビュー(篤姫HPより)

家茂の初登場は母上(篤姫)との対面シーンで、13歳という設定でしたが、それほど違和感はありませんでした。まだ紀州の慶福の時代でしたから、母上とは立場も位も違う。その差が自然に年齢差にもつながったのではないかと思います。僕自身、初めての時代劇ということで緊張感があったのもよかった(笑)。きっと慶福は御台所との対面に緊張していたでしょうからね。

演じるうえでは、まだ13歳なのだから無理に正しいことを言おうとするのではなく、素直に表現すればいいのかなと思いました。そのためには、気持ちを浄化させて悪いことは考えない。そうしないと悪い顔になってしまうから(笑)、ふだんから清らかな気持ちで過ごすようにしていました。

収録に入ったとき、とてもうれしかったのは、宮崎あおいさんが最初から“ウエルカム”という姿勢で僕を受け入れてくれたこと。それが役と重なってすごくやりやすかった。篤姫は、家茂に母としてだけでなく、女性であるところもちゃんと見せてくれるし、弱い部分や悩みも隠さずに打ち明けてくれる。だから家茂も打ち解けて、なんでも話せたし、尊敬できたと思うんです。

宮崎さんは僕と同い年だけど、お芝居はベテランなので先輩にあたります。だけど、気を遣わせないし、一緒にいていやすい雰囲気をつくってくれる。息子として(笑)、演じやすいのですごくありがたいです。


幕末から明治維新にかけての歴史は、もともと好きだったんですよ。ただ、慶喜が将軍になってから後のことが中心で、その前のことはあまりよくわかっていなかった。

家茂はどんな仕事をしたのか、時代背景はどうだったのか。そんなことを知るために、徳川家の歴史がわかる本や年表などに目を通しました。ああ、激動の幕末はここからこうなったのか、長州征伐のときの将軍が家茂だったんだと改めて知ることができてよかったです。

将軍としての家茂は年表で見る限りでは寂しいですね(笑)。はっきりとこういう業績を残しましたといえるものがない。“公武合体”で和宮と結婚したということくらいでしょう。

ただ、業績ではなく人としての家茂を見たとき、その純粋でまっすぐな生き方はいいなあと思いますね。たとえば和宮のこと。どんな資料を読んでもふたりは本当に仲が良かったと書かれています。初めて会った瞬間に好きになったと考えることもできるけれど(笑)、それはないでしょう。むしろ公武合体の意味を十分に理解し、自分の中で消化させていたからこそ、前向きに国のために取り組んだ。攘夷の約束が無理なことを知りつつ、和宮のことも好きになろうと前向きに考えたんだと思います。

優柔不断なところもありますが、それは若さゆえでしょう。あの年齢で大坂で死んでしまったのかと思うとちょっと切ないですね。演じていても、まっすぐでピュアな青年だったんだなということを実感しています。大河ドラマ 篤姫

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2008年10月04日

蛤御門の変


NHK大河ドラマ「篤姫」第40回「息子の出陣」

蛤御門の変

禁門の変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(蛤御門の変 から転送)

蛤御門(2004年8月31日撮影)
蛤御門・弾痕(2005年10月撮影)禁門の変(きんもんのへん)は、江戸時代後期の元治元年7月19日(1864年8月20日)に起きた事変。蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)、元治の変(げんじのへん)、元治甲子の変とも呼ばれる。

「禁門」とは「禁裏の御門」の略した呼び方である。蛤御門の名前の由来は、天明の大火(1788年1月30日)の際、それまで閉じられていた門が初めて開門されたので、焼けて口を開ける蛤に例えられた為である。蛤御門は現在の京都御苑の西側に位置し、天明の大火以前は新在家御門と呼ばれていた。禁門の変が蛤御門の変とも呼ばれるのは、蛤御門付近が激戦区であった為である。その為今も門の梁には弾痕が残る。


[編集] 概要
尊皇攘夷論を掲げて京都での政局に関わっていた長州藩は、1863年(文久3年)に会津藩と薩摩藩が協力した八月十八日の政変で京都を追放されていた。

藩主の毛利敬親と子の毛利定広は国許へ謹慎を命じられて政治主導権を失っており、京や大坂に密かに潜伏した数名の長州尊攘派はにわかに行動を続けていた。

元治元年(1864)に入ると、孝明天皇を再び長州陣営のものとする為、京都に乗り込もうとする積極策が長州で論じられた(この時の積極的に上洛を説いたのが、来島又兵衛、久坂玄瑞。反対、慎重派が桂小五郎と高杉晋作)。6月5日の池田屋事件で新選組に藩士を殺された変報が長州にもたらされると、慎重派の周布政之助、高杉晋作や宍戸左馬之助らは藩論の沈静化に努めるが、福原越後や益田右衛門介、国司信濃の三家老等の積極派は、「藩主の冤罪を帝に訴える」などと称して挙兵し、益田、久坂玄瑞らは山崎天王山、宝山に、国司、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺に、福原越後は伏見長州屋敷に兵を集めて陣営を構える。

この不穏な動きを察知して、薩摩藩士吉井幸輔友実、土佐藩士乾市郎平正厚、久留米藩士大塚敬介らは議して、長州兵の入京を阻止せんとの連署の意見書を、同7月17日朝廷に建白した。 朝廷内部では長州勢の駆逐を求める強硬派と宥和派が対立し、禁裏御守衛総督を勤める一橋慶喜(徳川慶喜)は退兵を呼びかけるが、京都蛤御門(京都市上京区)付近で長州藩兵が、会津・桑名藩兵と衝突した。一時長州勢は筑前藩が守る中立売門を突破して禁裏(京都御所内)に侵入するも、乾門を守る薩摩藩兵が援軍に駆けつけると形勢が逆転して敗退した。尊皇攘夷を唱える長州勢は壊滅、禁裏内で来島又兵衛、久坂玄瑞、寺島忠三郎らは戦死した。当時、京都守護職であった会津藩主・松平容保は、これにより長州の尊攘急進派を弾圧する体制を整えることになる。 禁門の変に於いて長州藩兵が内裏や禁裏に向けて発砲した事等を理由に幕府は長州藩を朝敵として、第一次長州征伐を行う。

戦闘の後、落ち延びる長州勢は長州藩屋敷に火を放ち逃走、会津勢も長州藩士の隠れているとされた中立売御門付近の家屋を攻撃した。この二箇所から上がった火で京都市街は「どんどん焼け」と呼ばれる大火に見舞われ、北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲の街区や社寺が焼失した。長州側は、この惨敗から「討薩賊会奸」などと称して後々まで恨みを抱き続けた。

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NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第39回

将軍・家茂役、松田翔太さんの得意料理はうにクリームパスタ・・
宮崎あおい号泣 最年少22歳が409日間完走…「篤姫」クランクアップ
<宮崎あおい>「本当に幸せでした」 「篤姫」涙のクランクアップ
ゴールデンタイム平均視聴率 NHKが民放を抜いた
「篤姫」高視聴率&この世のものとは思えぬ妖艶さ満開…若村麻由美
NHK「篤姫」最終回前に集中的に再放送
小松帯刀役瑛太さんがNHKトップランナーに登場

★★★

NHK大河ドラマ篤姫

NHK大河ドラマ「篤姫」第39回「薩摩燃ゆ」24.7%

NHK大河ドラマ「篤姫」第38回「姑の心、嫁の心」26.1%

NHK大河ドラマ「篤姫」第37回「友情と決別」26.1%
NHK大河ドラマ「篤姫」第36回「薩摩か徳川か」視聴率:27.7%
NHK大河ドラマ「篤姫」第35回「疑惑の懐剣」視聴率:23.3%
大河ドラマ「篤姫」第34回「公家と武家」その226.4%
大河ドラマ「篤姫」第34回「公家と武家」その1 26.4%
NHK大河ドラマ「篤姫」第33回「皇女和宮」27.7%
大河ドラマ「篤姫」第32回「桜田門外の変」26.4%
大河ドラマ「篤姫」第31回「さらば幾島」24.6%

NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第30回

★★★

「土曜スタジオパーク」篤姫で和宮皇女を演じるに堀北真希さん登場・その2
「土曜スタジオパーク」篤姫で和宮皇女を演じるに堀北真希さん登場

★★★

NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第30回

NHK大河ドラマ篤姫・第16回〜第24回

NHK大河ドラマ篤姫音楽:芳俣涼・脚本:田淵由美子

大河ドラマ 篤姫 http://www.nhk.or.jp/taiga/

天璋院 - Wikipedia

大河ドラマ 篤姫 http://www3.nhk.or.jp/taiga/

篤姫 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

NHK篤姫」 : 大河ドラマ情報

皇女和宮について
http://homepage2.nifty.com/amida/newpage15.html

皇女 和宮
http://www.h3.dion.ne.jp/~tammy22/sub66.htm
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