2008年10月20日

NHK大河ドラマ「篤姫」第42回「息子の死」

「篤姫」効果は262億円 鹿児島経済研が試算 <篤姫>初めて墓を一般公開…東京・台東区の寛永寺

チューボーですよにゲスト出演、松田翔太さん

NHK大河ドラマ篤姫第42回「息子の死」

天璋院篤姫宮崎あおい)と和宮堀北真希)は、出陣した徳川家茂松田翔太)の無事を一心に祈っていた。

徳川家茂松田翔太)は大坂にあり、徳川慶喜(平岳大)と長州攻めの準備をしていた。しかし薩摩藩の大久保利通(原田泰造)strong>に兵を出すことを断られ、準備はなかなか進まない。

徳川家茂松田翔太)江戸から勝(北大路欣也)を呼びよせ、事態を打開しようとするが徳川家茂松田翔太)は病に倒れてしまう。

勝(北大路欣也)は、
「なぜ薩摩は長州の味方をし、幕府に従おうとしないのか」とのを天璋院篤姫宮崎あおい)の質問に

「時代がかわりつつあるとしか申せません。国を閉ざしている間はそれでよかったが、異国と向き合うようにり、このままでは日本国はよくならない、強くもなれないと皆が気づき始めている。江戸開幕依頼260年、もはた、世の流れにはさからえぬかと・・」

天璋院篤姫宮崎あおい)は

「それでも私は徳川家を守らなければならぬ・・。」

同じ頃、薩摩では

一方、小松帯刀瑛太)は幕府の役人に襲われて傷を負った坂本龍馬玉木宏)とその妻・お龍(市川実日子)をかくまうため薩摩へと案内していた。

お近(ともさかりえ)と再会した小松帯刀瑛太)は、京で お琴(原田夏希)と一緒に暮らしていることを告白する。

「すまない、京の屋敷に女子をおいている・・」

「やはりそうでしたか・・このところ、京からの手紙がやたら増え、そんなことではないかと察しておりました・・」

怒りを抑えられず小松帯刀瑛太)につらく当たるお近(ともさかりえ)だったが、

お龍(市川実日子)

「京都では命を狙われることもある、支えてくれそうなおなごはいればついその気になることもあります・・」

お近(ともさかりえ)

「昔、夫には好きな女性がおりました。おかつさま・・でもその方は手の届かぬところへ行ってしまいました。不安になるのです、すきでもないのに結婚したのではないかと。だから、お琴さんのことを本当に好きなのではと、心が揺れてしまうのです。」

お龍(市川実日子)

「惚れておいでですな。惚れられるより、惚れるほうがうんと幸せです、坂本龍馬玉木宏)はいつ死ぬかわからん男、なにをしでかすかわからん男・・でも惚れてるんです。心配ですけど、出会えただけで幸せやと思ってます。なにがあろうと惚れた相手が生きてさえいてくれればいいではありませんか・・」

と諭され、小松帯刀瑛太)を許す。

そのころ大奥には、徳川家茂松田翔太)が病で倒れたとの知らせが伝わっていた。

天璋院篤姫宮崎あおい)と和宮堀北真希)は唐橋(高橋由美子)の勧めで、大奥には、徳川家茂松田翔太)の元に漢方医を派遣することにする。

慶応2年6月、幕府と長州の戦は始まりました。

徳川家茂松田翔太)の病状は悪化、勝(北大路欣也)は死の床の、徳川家茂松田翔太)と対面する。

徳川家茂松田翔太)は若くしてこの世を去る悔しさに身を震わせながら、

「わしはなにかをなしえたといえるのであろうか、将軍として、男として・・悔しいのう・・」

勝(北大路欣也)天璋院篤姫宮崎あおい)と和宮堀北真希)のことを託す。そしてひっそりと息をひきとるのだった……。慶応2年7月20日

唐橋高橋由美子):御年寄。実家は京都漢方医

チューボーですよにゲスト出演、松田翔太さん
ホマキ、初のセミヌードショット
高畑淳子 降板も考えた…まぶた垂れて手術
コメンテーターとして活躍しそうな脚本家「田渕久美子」
『篤姫』視聴率28.1 %、最高記録を更新

★★★

NHK大河ドラマ「篤姫」第41回「薩長同盟」24.2%
NHK大河ドラマ「篤姫」第40回「息子の出陣」28.1%
NHK大河ドラマ「篤姫」第39回「薩摩燃ゆ」24.7%
NHK大河ドラマ『篤姫』第25回〜第39回

大河ドラマ 篤姫 http://www.nhk.or.jp/taiga/

天璋院 - Wikipedia

大河ドラマ 篤姫 http://www3.nhk.or.jp/taiga/

篤姫 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

NHK篤姫」 : 大河ドラマ情報

皇女和宮について

皇女 和宮


posted by 江〜篤姫 at 15:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫

和宮(かずのみや)・堀北真希

「土曜スタジオパーク」篤姫で和宮皇女を演じるに堀北真希さん登場・その2
「土曜スタジオパーク」篤姫で和宮皇女を演じるに堀北真希さん登場

★★★

大河「篤姫」はいよいよ30%超えか (日刊ゲンダイ2008年8月13日掲載)
注目番組の視聴率(北京五輪・篤姫)
「篤姫」視聴率26・4%、内柴金を上回る

★★★

NHK大河ドラマ篤姫

和宮(かずのみや)・堀北真希

孝明天皇の妹。篤姫の義嫁。「公武一和」という政略のため将軍・家茂に嫁いだ。当初はどうしても武家のしきたりに馴染むことが出来ず、篤姫との関係もぎくしゃくしてしまう・・・。

大河ドラマ 篤姫

★★★

堀北真希、松田翔太が和宮と家茂の墓参り

★★★

和宮親子内親王皇女和宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


皇女和宮 和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう、弘化3年閏5月10日(1846年7月3日) - 1877年9月2日)

仁孝天皇の第8皇女で、孝明天皇の異母妹。江戸幕府第14代将軍徳川家茂の正室である。

「和宮」は誕生の際に賜られた幼名で、「親子」は文久元年(1861年)の内親王宣下の際に賜られた諱である。号は静寛院宮(せいかんいんのみや)。

[不本意な結婚と大奥との対立]

江戸時代はもとより、それ以前に於いて、皇女が武家に降嫁し、関東下向した唯一の例である[1]。当初和宮自身がこの結婚に疑義を唱えていたのは有名な話であり、結局家茂との結婚が決まった[2]後も、幕府に異母姉淑子内親王の御殿[3]の建設や、降嫁後も大奥風ではなく御所風の生活を守ることなどを約束させている。但し、「御所風の生活」の方は幕府首脳が大奥に全く根回ししていなかったため約束は破棄同然となり、幕末の大奥が大混乱に陥った一因となった。

文久2年2月11日和宮と家茂の婚儀が行われたが、その様子はそれまでの十三代の将軍たちの婚儀とは異なっていた。和宮が征夷大将軍よりも高い身分である内親王の地位で降嫁したため、嫁入りした和宮が主人、嫁を貰う家茂が客分という逆転した立場で行われることとなった。このことは後々まで江戸城内において様々な形で尾を引くこととなった。江戸城内では武家の習いで将軍の正室を「御台様(みだいさま)」と呼んでいたが、親子はこれを拒否し「和宮様」と呼ばせたり、挨拶は家茂から和宮に言上するなどそれまでの徳川将軍家の慣例を破ることになり、江戸武家方と京都御所方双方の対立を煽ることとなった。

大奥で中臈だった大岡ませは、廊下で和宮に会った時、廊下の隅で平伏した自分の前を通り過ぎる和宮の袴からでた足が、足袋を履かずに素足だったことの驚きを明治になって語った。江戸大奥では足袋を履くのが決まりであったが、御所では勅許が出ないうちは足袋を履かないという「御所風の生活」を文字通り和宮が主張した結果のためである。尤も和宮に限らず御所方の宰相典侍庭田嗣子の「御側日記」にも、5月2日日光輪王寺の強飯式に「足袋をはかされ申すこと江戸方御用に懸り候人々式日にて眉なし」と記し、無理矢理足袋を履かされたことに対する困惑が見られた。

しかし江戸城大奥における武家方従者と御所方従者の対立とは別に、家茂は側室をおかず、和宮を生涯の伴侶とし、夫婦仲は良好であったとされている


[家茂死後]

和宮と家茂の間に子はなく、家茂は田安慶頼の子亀之助(のちの徳川家達)に相続させることを表明していたが、家茂薨去後、和宮は「唯今の時勢、幼齢の亀之助にては如何あるべき、確かなる後見の人なくては協(かな)はざることなれば、然るべき人体を天下の為に選ぶべし」と語ったという。老中板倉勝静らも多事多難の折柄、一橋慶喜こそ将軍に立てるべきと斡旋し、慶喜の後継に亀之助をと和宮に伺ったところ、和宮は「御遺命さへ反故とならずば異存なし、中納言(慶喜)の後をば必ず亀之助に継がしむべし」と許可したという。


[晩年]

幕府瓦解後一旦京都へ戻った和宮だが、明治天皇や天皇に随従して市谷砂土原に居住していた叔父の橋本実麗らの勧奨もあり再び東京へ戻ることを決め、明治7年7月に東京に戻り、麻布市兵衛町にある元八戸藩南部遠江守信順の屋敷に居住した。東京移居後は皇族や天璋院や家達をはじめとした徳川一門など幅広い交流を持つようになった。しかしこの頃より脚気を患い、明治10年8月、元奥医師の遠田澄庵の転地療養の勧めがあり箱根塔ノ沢へ向かった。転地療養先では地元住民との交流も行われたという証言がある[5]。程なく明治10年9月2日早朝、脚気衝心のため療養先の塔ノ沢で薨去する。

和宮親子内親王 - Wikipedia

皇女和宮について

皇女 和宮

皇女和宮 辞世の句

★★★


【2008年3月21日掲載】日テレ開局記念番組で結果を残した堀北真希
2008年3月24日(月)10時0分配信 日刊ゲンダイ



NHK大河ドラマ篤姫

<篤姫>視聴率20%超 人気の秘密は「家族愛」

堀北 真希(ほりきた まき、1988年10月6日 - )東京都清瀬市出身

2002年 - 中学2年生の時、部活動の帰宅中に畑道でジャージ姿でスウィートパワーにスカウトされる。当初は断ったものの、1ヶ月程して関係者による自宅訪問を受け芸能界入りが決まる。

2003年1月 - ドラマ『いつもふたりで』でテレビ初出演

2003年7月 - 映画『COSMIC RESCUE』のヒロイン役オーディションに合格し、同作で映画デビュー。

2003年10月 - ドラマ『ケータイ刑事 銭形舞』でテレビドラマ初主演。

2004年2月 - 映画『渋谷怪談2』で映画初主演。

2006年4月 - 『クロサギ』吉川氷柱役でヒロインを好演。

2006年10月 - 『鉄板少女アカネ!!』で、地上波のテレビドラマ初主演

2008年2月 - 第31回日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞。(『ALWAYS 続・三丁目の夕日』)


堀北真希、人生初の胸ぐらつかんでケンカ
堀北真希「男の子の方が…」
堀北「初めての合コン」…30日放送「恋のから騒ぎ―」
堀北真希「びっくりした」
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この人物のオモテとウラ 堀北真希(女優)

「篤姫」和宮役に堀北真希!時代劇初挑戦
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男子制服姿の堀北真希、“イケメンモデル”でファッションショー
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男の中の男!?堀北真希はどこ!?…



posted by 江〜篤姫 at 15:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫・キャスト

徳川慶福(家茂)★松田翔太

NHK大河ドラマ「篤姫」第42回「息子の死」

NHK大河ドラマ篤姫第23回「器くらべ」その2より登場。

「めちゃめちゃかっこいい・・あの通り!!」と母・松田美由紀(グータンヌーボ)

チューボーですよにゲスト出演、松田翔太さん

松田翔太さんインタビュー(篤姫HPより)

★★★

NHK大河ドラマ篤姫

徳川慶福・14代将軍徳川家茂松田翔太

徳川第14代将軍。公武合体政策のため天皇の妹である和宮と結婚。周囲の不安をよそに2人は仲睦まじく過ごすが、長州征討のため大坂城出陣中に短い生涯を閉じてしまうことに・・・。大河ドラマ 篤姫

松田翔太(まつだ しょうた、1985年9月10日 - )
父親は松田優作、母親は松田美由紀、兄は松田龍平、伯母は熊谷真実という芸能一家である。兄とは仲がよく、また妹は松田兄弟にとってアイドル的存在であるというhttp://pikamama1119.seesaa.net/category/4294884-1.html

NHK大河『篤姫』に堺雅人、玉木宏、松田翔太、堀北真希ら決定

徳川 家茂(とくがわ いえもち)は、江戸幕府第14代征夷大将軍。将軍就任の前は御三家紀州藩第13代藩主。初名は徳川 慶福(とくがわ よしとみ)。

徳川斉順(清水徳川家および紀州徳川家の当主)の長男であるが、父は家茂が生まれる前に薨去した。祖父は徳川家斉、祖母は妙操院。正室は孝明天皇の妹・和宮親子内親王(静観院宮)。公式には側室は持たなかった(但し、関係のあった女性の噂があり、墓所の調査(後述)から妾の存在を示唆する意見がある)。4歳で紀州藩主となったが、徳川氏中、嗣子の無い第13代将軍・徳川家定に最も近い血筋の人物[1]であるとして、井伊直弼ら南紀派の支持を受けて13歳で第14代将軍となる。血筋だけでなく英明な風格を備えており、勝海舟をはじめ幕臣からの信望厚く、忠誠を集めたと言われている。

弘化3年(1846年)、和歌山藩の第11代藩主・徳川斉順の次男として生まれる。嘉永2年(1849年)に叔父で第12代藩主である徳川斉彊が死去したため、その養子として家督を継いで第13代藩主となった。

安政5年(1858年)、一橋派との抗争の末に勝利し、直後に第13代将軍・徳川家定も死去したために第14代将軍となった

文久2年(1862年)に公武合体策の一環として和宮と結婚。政略結婚ではあるが、和宮に対してたびたび贈り物をするなど非常に気を遣い、2人の関係は良好であった。徳川家歴代の将軍と正室の中で最も夫婦仲がよいといえたのは家茂・和宮であったといわれたほどである。

慶応2年(1866年)、家茂は第2次長州征伐の途上大坂城で病に倒れた。この知らせを聞いた孝明天皇は、典薬寮の医師である高階経由と福井貞憲の2人を大坂へ派遣し、その治療に当たらせた。江戸城からは、天璋院や和宮の侍医として留守をまもっていた大膳亮弘玄院、多紀養春院(多紀安琢)、遠田澄庵、高島祐庵、浅田宗伯らが大坂へ急派された。しかしその甲斐なく、家茂は大坂城にて薨去した。享年21

家茂はわずか20年の生涯であったが、幕末の動乱期の中をその若さで潜り抜けていることは高く評価されている。勝海舟からは、「若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれない。武勇にも優れていた人物であった」と評価されている。

また、幕臣からも信望が厚かったと言われ、家臣や女性や動物たちに至るまで非常に優しい態度で接する一方、剛毅な一面を持つ人柄が明治後に旧幕臣たちなどからさまざまな逸話で伝えられている。

羊羹、氷砂糖、金平糖、カステラ、懐中もなか、三色菓子など甘いものを好んだ。虫歯や脚気の原因はこれらの食べすぎだと思われる。
四肢骨からの推算で身長は156.6センチである。
徳川家茂 - Wikipedia


十四代将軍 徳川家茂
http://www.uraken.net/rekishi/reki-tokugawa14.html

黄昏呆助のひとり言: 皇女和宮と徳川家茂
http://tasogaresan.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_0ec0.html

幕末写真館

徳川幕府十五代全将軍

江戸東京博物館|「徳川家茂とその時代」展


歴史上の人物と和菓子 -徳川家茂(とくがわいえもち)−虎屋の将軍家 ...


徳川慶福(家茂)松田翔太:NHK大河ドラマ「篤姫」

徳川家茂
http://www.chohoji.or.jp/promenade/iemoti.htm
posted by 江〜篤姫 at 02:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫・キャスト
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