2009年04月02日

NHK連続テレビ小説『つばさ』高木加え乃子

NHKテレビ小説「つばさ」、初回視聴率は17・7%

娘役の多部を溺愛?母・高畑淳子もうっとり

NHK連続テレビ小説つばさ」 NHK総合 毎週月〜土曜 前8:15〜8:30

■ 10年間、家を家族を捨てていた母が戻ってきた。母代わりをしていたつばさの青春を描く

和菓子屋『甘玉堂』のつばさは短大を卒業したら祖母の跡を継いでおかみになりたいと考えるしっかり者。10年前に母・加乃子が家出をし、以来主婦役を引き受けてきたつばさにとって、一番大切なのは“家族と店”だった。ところが、突然“不肖の母”が借金とともに舞い戻り、それが元で一家は江戸時代から続く老舗を手放すことに……。奔放な母と働き者の娘は、「娘が母」で「母が娘」のあべこべ。そんな母娘が巻き起こす、笑いと涙の物語。

母・高木加乃子高畑淳子

つばさの母。幼いころから『甘玉堂』の跡取りとして厳しく育てられた反動か、40歳の時、殺虫剤のCMモデルに抜擢されたのがキッカケで、遅れてきた思春期に突入。ナント子どもを残して家を出てしまう……!以降、ダイエット本の出版や通販グッズの開発など、思いつくまま事業を起こすも、ことごとく失敗。多額の借金を背負い、ついに実家へ舞い戻ってくる。照れ隠しなのか、本性なのか、10年ぶりの同居生活で自由奔放、傍若無人に振る舞い、つばさを波乱の日々に突き落とす。連続テレビ小説「つばさ」

大河ドラマ篤姫で家定の母・本寿院を熱演中・高畑淳子さん「スタジオパークからこんにちは」に登場

★★★

高畑淳子(たかはた あつこ、1954年10月11日 - )は香川県善通寺市出身、高松市育ちの女優、声優。劇団青年座所属。

身長163cm。体重53kg。血液型はA型。特技は、英語と水泳。長女と長男の3人家族。二度の離婚歴があり、彼女自身は一人っ子(厳密には弟が死産であるため兄弟はいる)である。高松市立桜町中学校、香川県立高松高等学校卒業。演技を学ぶため桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻へ進学。現在、所属する有限会社劇団青年座の取締役でもある。近年は、ざっくばらんなトークでバラエティ番組にも数多く出演している。

幼少時より学業優秀で運動も万能だった。高校時代には仏像の見学を趣味にしており、ちょっと変わった生徒だった。「私にしかできないこととは何だろう」と悩み、香川県立高松高校から桐朋短大演劇学科にも受験し合格して演劇の道に進んだ。卒業後に青年座に入団し、舞台女優としてデビューする。

80年代後半から90年代前半にかけて多くの東映特撮作品に出演し、スマートな美貌と優雅な身のこなしで強烈な存在感を示した。特に『仮面ライダーBLACK RX』の悪役・マリバロンは当たり役となり、後年のインタビューで「RXがきっかけでようやく女優として食べていける様になった」と語っている。

1995年から『3年B組金八先生』にて本田知美先生役としてレギュラー入りを果たし、広く顔が知られるようになる。

さらに『白い巨塔』の東政子役での演技が高い評価を受け、ドラマやバラエティ番組への出演が急増したが、かつては声の仕事も数多くこなしていた。『刑事コロンボ』のフェイ・ダナウェイ(『恋におちたコロンボ』)、『エリザベス』のケイト・ブランシェット、『エアフォース・ワン』のグレン・クローズといった大女優の吹替えや『ER緊急救命室』や『アリーmyラブ』といった海外ドラマへのゲスト(『緑の丘のブルーノ』ではアナ役でレギュラー出演)、アニメへの出演(「声の出演」を参照)がある。

近年は演技派の舞台女優という域を超え、幅広く活動の場を広げている。初めて出演したバラエティ番組は『ディスカバ!99』。常に自然体で臨み、『本当は怖い家庭の医学』に出演した際に「若い頃にホルモン不足と診断され、腹が立ち、アダルトビデオを見まくって治した。ただし効果は2年で切れてしまった」と発言。また『ダウンタウンDX』では「ヒアルロン酸を注入した」と告白。このような気さくで飾らない人柄が高い人気を得ている。

2006年の『魂萌え!』関口敏子役で、テレビドラマ初主演を果たした。

★★★

NHK大河ドラマ篤姫

徳川家定(堺雅人)の生母・本寿院高畑淳子

将軍家定の生母。大の水戸(徳川斉昭)嫌いとして知られ、家茂を家定の後継者にと強く願っている。将軍の実母として、表の政治にまで影響力を持っていた 大河ドラマ 篤姫

本寿院(ほんじゅいん、文化4年(1807年) - 明治18年(1885年))は江戸時代後期の女性で12代将軍・徳川家慶の側室で13代将軍・徳川家定の生母。他にも2人の男児を出産したが、いずれも早世した

お美津の方(本寿院)は文政5年(1822年)に西ノ丸大奥に出仕し、翌年に将軍家継嗣・徳川家慶のお手つきとなり、御中臈となる。文政7年(1824年)に西ノ丸大奥にて政之介(13代将軍・徳川家定)を出産。政之介の事は全て乳母の歌橋に任せていた。お美津は西ノ丸大奥にて「お部屋さま」と呼ばれるようになった。

天保8年(1837年)に11代将軍・徳川家斉が将軍職を子・家慶に譲る。家慶は家斉と入れ替わりで本丸に入り、お美津や他の側室、老女姉小路らが本丸大奥に入る。お美津の子・政之介が将軍家継嗣と定められ、お美津は次期将軍生母となり、次期将軍生母に相応しい身分・「老女上座」を与えられる。

翌、天保9年(1838年)に家慶の命により、政之介と共に二ノ丸大奥に居を移す。大御所・家斉が死去するとお美津と政之介は二ノ丸大奥から西ノ丸大奥に居を移す。

嘉永6年(1853年)6月22日に家慶が薨去。お美津は落飾し、本寿院と号す。家定(政之介)が13代将軍となり、将軍生母として本丸大奥に居を構えた。しかし、本丸大奥での権力者となったのはお美津ではなく、家定をお美津の代わりに育て上げた乳母・歌橋だった。

家定は病弱であり、幕府重役は、すでに家定には子を作る能力はないと見切りを付けたため、次期将軍の跡目争いが勃発する。その候補に水戸藩主・徳川斉昭の息子・一橋慶喜と紀伊藩主・徳川慶福が挙がると水戸嫌いの大奥はこぞって慶福派にまわる。本寿院は「慶喜殿が将軍になれば、わらわは死を選ぶ」と言ったほど慶喜の将軍就任に反対した。そんな大奥を慶喜派にするために将軍・家定の御台所に迎えられたのが篤姫である。しかし、将軍生母の本寿院自身が慶喜の名前を耳にするだけでも嫌がるという忌み嫌いようで[1]、大奥の情勢を篤姫一人で覆すのは困難な情勢となっていた。

安政5年(1858年)7月6日に家定が死去。14代将軍には本寿院や大奥が支持した慶福改め徳川家茂が迎えられる。その後も本寿院は大奥に残り幕府崩壊を大奥から見届け、慶応4年(1868年)4月11日、江戸城無血開城により、天璋院と共に一橋邸に移り住む。

明治18年(1885年)に一橋邸にて死去。享年79歳。墓所は谷中墓地。
本寿院 - Wikipedia

★★★

本寿院高畑淳子さんインタビュー(NHK篤姫HPより

本寿院というのは、とても正直な方だと思うんですよ。心にふたをしてよけいなことを言わないのが大奥だとしたら、本寿院は自分の欲や感情を隠すことなくぶつけてしまう。息子の家定に対する愛も直球だし、とても人くさいというか、真っ正直な方だなという印象ですね。

篤姫が一橋慶喜を将軍世継ぎに推している。それを知ったとたんに、篤姫に対する態度もがらりと豹変したでしょう。最も忌み嫌っている水戸の徳川斉昭の息子を推すとは何事かって怒り心頭。廊下で髪を振り乱して篤姫の胸ぐらをつかんだり(笑)。松の廊下じゃないですけど、かなり激情していました(笑)。

篤姫ファンからは怒られちゃうでしょうけど、案外、直情的にそういうことをする人のほうが根は曲がっていないような気がします。陰でうじうじ言うのではなく、思いをぶつけているところが、根っからの悪ではないなって。それに、みんながお行儀がいいとつまらないでしょう(笑)。篤姫も直球で正直なところがあるけれど、本寿院の場合は“KY的”正直さっていうんですか(笑)、そういうところでも楽しんでいただけたらと思っています。


大奥がこぞって水戸嫌いだというのは、斉昭が倹約を強いたからで、本寿院たちの気持ちはとてもよくわかります。

大奥のように閉鎖されたところにいる人間にとって、桜を愛でたり、月を愛でたり、衣服やこうがいでおしゃれをしたりすることは最上の喜びだったと思うんですよ。逆に言えば、それしか楽しみがない。ところが、倹約しろということは、その楽しみを取り上げるということになるわけですからね。

『私たちは、ただのとらわれ人なんですか』、『ただ男たちの道具としてここに置いておくのですか』という思考回路に行き着くのは、よくわかります。私たちもここで生きて楽しみをおぼえて何が悪いって。腹が立つのも当然だと思いますよ。

その怒りの矛先がすべて篤姫に向かうわけで篤姫も大変です(笑)。でも、敵が徹底的に攻撃しないとドラマというのは面白くないですからね。敵がいてこそ、主演の方の心根の深さとか、よいところがさらに際だって見えると思っているんですよ。


世継ぎ問題が一段落した後は、和宮が登場して篤姫と対立することになりそうです。本寿院のように泣いたりわめいたりする直球型というか、単純な嫁姑のバトルではない、お互いを押さえ込もうとするバトルなので根っこが絡まるでしょうね。相手を慮(おもんぱか)ったことが裏目に出たり、複雑なことになると思います。

そこで本寿院がどうするかというと、どちらに味方をするのかわかりませんが、火に油を注ぐような存在になるでしょうね(笑)。よく大家族などでトラブルをもっと大きくしている小姑とか(笑)、傍観者みたいな親族の中の一部があおっているみたいな光景ってありますよね(笑)。あなたが黙っていれば収まるのにと言われそうな、そんな役どころで、ぜひ、いきたいと思っています(笑)。

でも、こうして演じていると、実際はどんな人だったのかしらということを、すごく知りたくなってきます。

大奥を去った後は、篤姫についていったようです。あれだけ、けんかをしていたのにね(笑)。篤姫大奥の女性たちの行き先などをずいぶん世話をしたということなので、きっと本寿院のことも世話をしたんですね。77歳まで生きたそうですから、あの時代には相当の長寿ですよね。やはりストレスをためない人は長生きするのかしらとか、ホントはほんわかした人だったのかしらとか、いろいろ想像をめぐらせています。大河ドラマ 篤姫





posted by 江〜篤姫 at 11:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫・キャスト
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