2008年02月11日

ジョン万次郎・勝地涼

ジョン万次郎 勝地涼( 篤姫 NHK大河ドラマ )

ジョン万次郎(ジョン まんじろう、文政10年1月1日(1827年1月27日) - 明治31年(1898年)11月12日)とは波乱万丈の人生を送り幕末の日本で活躍した通訳・教師。本名、中濱万次郎(なかはままんじろう
土佐国中浜村(現在の高知県土佐清水市中浜)の貧しい漁師の次男に生まれた。

天保12年(1841年)、14歳の時に漁師の手伝いで漁に出たあと遭難し、5日半漂流後奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島の鳥島に漂着して143日間生活した。そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救われる。日本はその頃鎖国であったため、救われた大人達は寄港先のハワイで降ろされるが、アメリカのホイットフィールド(Whitfield)船長に気に入られた万次郎は本人の希望からそのまま一緒に航海に出る。船名にちなみジョン・マン (John Mung) の愛称をアメリカ人からつけられた。

アメリカで英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学び、やがて船員達の投票により副船長に選ばれる。万次郎はアメリカの民主主義を目の当たりにすることになる。世界の各地を航海した万次郎は、その後船を購入しハワイに寄港、元の仲間と再会し、嘉永4年(1851年)共に日本へ帰国を果たす。

海外から鎖国の日本へ帰国した万次郎達は長期間尋問を受けることになるが、なんとか土佐に帰ることができた。その際薩摩藩の島津斉彬がその知識に注目し、幕府ではペリーの来航によってアメリカの知識の重要性が増していたことから、嘉永6年(1853年)、幕府に召聘され直参の旗本となった。この際、生れ故郷の地名を取って「中浜」の姓が授けられた。

江戸で通訳も務め、またアメリカで身につけた学問を基に各地で講師としても活躍する。高知では坂本龍馬も万次郎から聞いた世界観に影響を受けたと言われ、激動の幕末における影の重要人物である。

万次郎は少年期に日本で基本的な学識を身に付けることなく米国に渡ったため、通訳としては有能であったが、文章化された英語を日本語に訳することが不得手であったとされる。そのため西洋の体系的知識を日本に移入することが求められた明治以降は能力を発揮する機会に恵まれず、目立った活躍はしていない。

鎖国中の日本において、アメリカ本土に初めて足を踏み入れた人物であるため、彼は初めて鉄道・蒸気船に乗った日本人でもある。

伝記を子孫が3代に渡って同じ出版社から出したことでも知られ、ホイットフィールド船長の子孫とも代々交流がある。また、出身地の土佐清水市はアメリカでの滞在先となったニューベッドフォード市、フェアヘーブン市の両市と姉妹都市盟約を締結し、現在も街ぐるみでの交流が続けられている。

蘭学者・河田小龍により「漂流記」が、まとめられた。

万次郎が日本で初めてネクタイをしたと言われる。
ジョン万次郎 - Wikipedia

勝地 涼(かつぢ りょう、1986年8月20日 - )

所属事務所はフォスター。東京都出身。堀越高等学校卒業。血液型はAB型。趣味は読書、バスケットボール、野球。映画『亡国のイージス』(2005年)で第29回日本アカデミー賞新人賞を受賞。



posted by 江〜篤姫 at 05:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫・キャスト
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