2008年06月02日

老中・阿部正弘について

NHK大河ドラマ篤姫

老中阿部正弘草刈正雄

老中首座。斉彬と親しく、篤姫を将軍・家定の御台所とすることに尽力する。外様大名たちの力を結集して、外国の侵略から日本を守ろうとした。その容姿から、大奥の女中たちにも非常に人気があったという。大河ドラマ 篤姫

6/1のNHK大河ドラマ篤姫第22回「将軍の秘密」で死去(1857年安政4年6月17日)

阿部 正弘(あべ まさひろ)は、江戸時代末期の備後福山藩第7代藩主。江戸幕府老中首座。幕末の動乱期にあって『安政の改革』を断行した。

文政2年(1819年)10月16日、第5代藩主・阿部正精の6男として江戸西の丸屋敷で生まれた。

文政9年(1826年)に父・正精が死去して兄の阿部正寧が第6代藩主を継ぐと、正弘は本郷(文京区)の中屋敷へ移った。しかし、正寧が病弱だったため、10年後の天保7年(1836年)12月25日、正弘を養子にして家督を譲って隠居したため、正弘は第7代藩主に就任することになった。

天保8年(1837年)に正弘は福山(広島県福山市)へのお国入りを行った(正弘が国元へ帰ったのはこの1度のみである)。天保9年(1838年)9月1日、奏者番に任じられる。天保11年(1840年)5月19日には寺社奉行見習に任じられ、11月には寺社奉行に任じられ、感応寺(台東区谷中)の破却などを行った。

天保14年(1843年)閏9月11日、25歳で老中となり、辰の口(千代田区大手町)の屋敷へ移った。弘化2年(1845年) 、老中首座であった水野忠邦が天保の改革の挫折により2度失脚したため、老中首座となる。第12代将軍・徳川家慶、第13代将軍・徳川家定の時代に幕政を統括する。嘉永5年(1852年)には江戸城西の丸造営を指揮した功により1万石が加増される。老中在任中には度重なる外国船の来航や中国でのアヘン戦争勃発など対外的脅威が深刻化したため、その対応に追われた。

嘉永7年1月16日(1854年2月13日)、ペリーの再来により同年3月3日(3月31日)、日米和親条約を締結させることになり、約200年間続いた鎖国政策は終わりを告げる。しかし、日米和親条約締結に反対した徳川斉昭は、条約締結後に海防掛参与を辞任することになる。

安政4年(1857年)6月17日、老中在任のまま急死。後を養子(甥)の阿部正教が継いだ。

阿部正弘 - Wikipedia


阿部正弘役草刈正雄さんインタビュー


草刈正雄(くさかり まさお)


posted by 江〜篤姫 at 05:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 篤姫・キャスト
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。