2008年06月14日

現存最大の墓誌出土…徳川将軍家、大奥の華麗な副葬品も

現存最大の墓誌出土…徳川将軍家、大奥の華麗な副葬品も
2008年6月9日(月)23時51分配信 読売新聞

13代将軍家定正室の墓誌

 徳川将軍家の菩提(ぼだい)寺、東京・上野の寛永寺にある将軍家墓所から、現存最大の墓誌や豪華な副葬品が出土したと、発掘調査を行っている近世墓所調査団が9日、発表した。

 調査は墓所の改葬に伴うもので、昨年6月に始まった。

 これまで将軍の生母、正室、子女らの墓所25基のうち、16基が終了した。名誉団長の坂詰秀一・立正大名誉教授は「大奥のタイムカプセルが開いた」と成果を評価している。

 調査の結果、遺体を納めた石櫃(せきひつ)、石槨(せっかく)のふたの裏面に刻まれた墓誌のうち、12代家慶(1793〜1853年)の正室・浄観院、13代家定(1824〜58年)の正室・澄心院の墓誌は、縦横各2・9メートル、重さ4・9〜5・3トンと判明。日本に現存する墓誌としては最大であることが分かった。

 また、遺体の傍らには大奥の華麗な生活を物語る多様な副葬品も確認された。水晶製の数珠や、水晶の容器入りの仏舎利、金銅や黒漆塗りの厨子(ずし)に入った念持仏などが出土した。

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<徳川将軍家墓所>「大奥が相当の実権か」調査団中間報告
2008年6月9日(月)23時30分配信 毎日新聞

調査が行われている寛永寺谷中徳川家近世墓所で発掘された墓誌=東京都台東区上野桜木

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 東京都台東区・谷中にある寛永寺徳川将軍家墓所を調査している「寛永寺谷中徳川家近世墓所調査団」(名誉団長、坂詰秀一・立正大名誉教授)は9日、中間報告を行った。将軍家の墓所に本格的な学術調査が入るのは初めて。

 墓所は総面積4500平方メートル。八代吉宗の生母をはじめ、「お裏方」と呼ばれた御台所(みだいどころ)や側室の墓25基があり、三代家光の五男から昭和に至るまでの徳川宗家の妻子69人が葬られている。

 墓石の色調は7種ほど。調査を終えた16基のうち、十二代将軍正室の浄観院(1840年没)の墓誌は2.9メートル四方で「現存する中では最大。今回最も価値のある発見」(調査団)という。木棺には水銀朱が充てんされていたため、遺骨や副葬品は朱色に染まっていた。扇や化粧道具、眼鏡や義歯も見つかった。

 調査委員の竹内誠・江戸東京博物館館長は「大奥が相当の実権を握っていたらしいことが近年、文献から明らかになってきた。今回の調査でそれが裏付けられそうだ」と話す。

 調査は墓所の改葬に伴い昨年6月に始まった。調査結果は報告書にまとめられるが、遺物の一般公開予定はない。【斉藤希史子】

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化粧道具や人骨が出土 2008年6月9日(月)19時59分配信 共同通信

 東京・谷中霊園の徳川家墓所を調査した「寛永寺谷中徳川家近世墓所調査団」は9日、13代将軍家定の正室らの墓から、眼鏡や化粧道具などの副葬品や人骨が見つかったと発表した。石室のふた裏面に被葬者の経歴が記されており、日本に現存する墓誌としては最大という。同調査団は「今秋までに発掘を終わらせ、人骨のDNA分析などを行い、大奥の謎に科学的に迫りたい」と話している。

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posted by 江〜篤姫 at 10:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大奥とは・・

2008年05月18日

大奥とは???フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

NHK大河ドラマ篤姫

大奥は1000人の女性達が集まった世界。

江戸時代後期に作られた「奥奉公出世スゴロク」で大奥の世界を垣間見ることができます

大奥のすべてを取り仕切っていたのが御年寄:大奥・年寄、滝山(稲森いずみ)

大奥はキャリアウーマンの集まった世界でもありました。

★★★

大奥(おおおく)とは江戸城に存在した将軍や大御所の正室や側室、その生母や子女、及び御殿女中(奥女中)たちの居所

初代徳川家康の時代から江戸城に「大奥」と呼ばれる区画は存在していたが、その当時は「表」と「奥」―つまり男性と女性の境界が存在せず、正室や女中などが表に足を運んだり家臣が奥を訪れる事があった。その後、3代徳川家光の時代に家光の乳母で権勢を振るった春日局が元和4年(1618年)に大奥法度を定め、将軍家の奥を制度上で部署的なものとして整備し統括した。

慶応4年(1868年)4月、江戸幕府は新政府軍に江戸城を明渡すことになった。
大奥に残っていた、本寿院(13代将軍生母)と天璋院(13代将軍御台所)は一橋家の屋敷へ、静寛院宮(和宮親子内親王)は西ノ丸にいた実成院(14代将軍生母)とともに田安屋敷へと移り、城の明け渡しに備えた。4月11日(5月3日)、東海道先鋒総督が江戸城に入った。この時、城に入った人数は約800名とされる。大奥法度も廃止となった

ちなみに最後の将軍であった徳川慶喜の正室・一条美賀子は一度も大奥入りしなかったので、この場には立ち会わせなかった。

★★★

本丸御殿を3つに大別した時、

幕府の政庁に当たる「表」
将軍が執務を行ない普段の生活空間でもある「中奥」
将軍の妻妾や女中たちのいる「大奥」
に区別された(将軍家以外の武家では大奥に相当する空間を「奥」あるいは「奥向き」、あるいは「大奥」と呼称していた[1])。

大奥は江戸城本丸、二丸、西丸に位置していたが、将軍と将軍の幼い息子、及び御匙医師を除けば基本的に男性が立ち入る事が許されていなかった。基本的に、本丸大奥は将軍夫妻、二丸は将軍生母や元将軍側室。大奥西丸は世子夫妻か大御所夫妻が住んでいた。ただし本丸の非常時には、二丸や西丸がそれぞれ本丸の代わりとして機能した。[2]

本丸御殿は表と中奥が同一の建物であるのに対して大奥は別の建物として分離しており、周囲を銅塀によって囲われていた。この間を繋いでいるのは僅か一本の廊下であり「御鈴廊下」と呼ばれていた。将軍が大奥へ入る際に鈴のついた紐を引いて鈴を鳴らして合図を送り、出入り口である「御錠口」の開錠をさせていた事からこの名が付いた。後に火事等の緊急事態を想定して作られたのが「下御鈴廊下」であるとされている。

大奥は大別して広敷向・長局向・御殿向に区画される

大奥広敷向

大奥の事務や警備等を担う男性役人の詰所から成る。
唯一男性も入る事の出来る区画だが、もちろん御殿向と長局向には入れないため、広敷向と各方面との間には御錠口があった。その中でも長局向の出入り口は七ツ口と言う。女中たちの部屋方の出入りや御用達商人からの買い物に用いられたもので、七ツ時(夕方4時)に閉まる事からこの名が付いたとされる。

大奥御殿向

将軍の寝所である御小座敷、御台所の居所である新御殿や御切手の間、側室や世嗣以外の子女の居所、奥女中の詰所などからなる。
長局向
奥女中たちの2階建ての居所である。一之側から四之側までの4棟があり、格式に応じて一之側が上臈や御年寄、二之側、三之側がその他のお目見え以上の女中、四之側がお目見え以下の女中たちに配分された

★★★

有名な大奥の女性

崇源院 - 2代将軍徳川秀忠の正室、3代将軍徳川家光の母。
春日局 - 徳川家光の乳母。
本理院 - 徳川家光の正室。
永光院 - 徳川家光の側室。春日局の死後、局の後継者として大奥を統率したとされる。
宝樹院 - 徳川家光の側室、4代将軍徳川家綱の生母。
順性院 - 徳川家光の側室、甲府宰相徳川綱重の生母。6代将軍徳川家宣の祖母。
桂昌院 - 徳川家光の側室、5代将軍徳川綱吉の生母。
浄光院 - 徳川綱吉の正室。
瑞春院 - 徳川綱吉の側室。
右衛門佐(局) - 徳川綱吉時代に大奥総支配を命ぜられたとされる将軍付上臈(御年寄という説もある)。
天英院 - 徳川家宣の正室。
月光院 - 徳川家宣の側室、7代将軍徳川家継の生母。
絵島 - 徳川家継時代に勢力をふるった御年寄。
広大院 - 11代将軍徳川家斉の正室。
姉小路 - 12代将軍徳川家慶付き上臈御年寄。家慶時代に勢力をふるったとされる。
本寿院 - 13代将軍徳川家定の生母。
瀧山 - 徳川家慶時代から14代将軍徳川家茂時代の御年寄。
天璋院 - 徳川家定の正室。
幾島 - 天璋院付の御年寄。
実成院 - 徳川家茂の生母。
和宮 - 徳川家茂の正室。

大奥 - Wikipedia

★★★

NHK大河ドラマ篤姫


<篤姫>視聴率20%超 人気の秘密は「家族愛」

★★★

NHK大河ドラマ篤姫第20回「婚礼の夜」

NHK大河ドラマ篤姫第19回「大奥入城」

NHK大河ドラマ篤姫第18回「斉彬の蜜命」20.9%

NHK大河ドラマ篤姫第17回「予期せぬ縁組」23.1%

NHK大河ドラマ篤姫・第7回〜第15回

★★★

NHK大河ドラマ篤姫第18回「斉彬の蜜命」
尚吾郎(瑛太)は お近(ともさかりえ)は夫婦になりました。

★★★

<妻夫木聡>「伝える使命感を感じる」 NHK大河ドラマ「天地人」で主役・直江兼続

主演は妻夫木聡さん=来年のNHK大河ドラマ「天地人」

直江兼続 - Wikipedia

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